う。
 資本はその価値の騰貴と同時に分量において増加し得よう。以前よりもより[#「より」に傍点]多くの労働が附加的分量を生産するに必要とされると同じ時に、一国の食物及び衣服に附加がなされ得よう。その場合には啻に資本の分量のみならず更にその価値もまた増大するであろう。
 または資本は、その価値が増加することなしに、、かつその価値が実際減少しつつある間にすら、増加し得よう。啻に一国の食物及び衣服に附加がなされ得るのみならず、更にその附加は、機械の援助によって、それを生産するに必要な労働の比例的分量の増加なくして、かつその絶対的の減少をすら伴って、なされ得よう。資本の量は増加するであろうが、しかるに、その全部の合計にしろ、またはその一部分単独にしろ、以前よりもより[#「より」に傍点]大なる価値を有たず、実際により[#「より」に傍点]少い価値を有つであろう。
 第一の場合においては、常に食物、衣服、その他の必要品の価格に依存する労働の自然価格は、騰貴するであろう。第二の場合においては、それは引続き静止的であるかまたは下落するであろう。しかし双方の場合において、資本の増加に比例して労働に対する需要の増加があるであろうし、なさるべき仕事に比例してそれをなすべき人々に対する需要があるであろうから、労賃の市場率は騰貴するであろう。
 双方の場合においてまた、労働の市場価格はその自然価格以上に騰貴するであろう。そして双方の場合において、それはその自然価格に一致せんとする傾向を有つであろうが、しかしそれは多くは改善されないであろう。けだし食物及び必要品の価格の騰貴は、彼れの労賃の騰貴の大部分を吸収してしまうであろうから。従って、労働の少しの供給は、または人口の僅少の増加は、市場価格をその時の騰貴した労働の自然価格にまでまもなく低下せしめるであろう。
 第二の場合においては、労働者の境遇は極めて著しく改善せられるであろう。彼は、自分とその家族とが消費する貨物に対して、騰貴せる価格を支払うの必要なくして、かつおそらく下落せる価格をさえ支払って、騰貴せる貨幣労賃をば受取るであろう。そして労働の市場価格が再びその時の低きかつ下落せるその自然価格にまで下落するのは、人口に大なる増加が起って後のことであろう。
 かくてしからば、社会の進歩ごとに、その資本の増加ごとに、労働の市場労賃は騰貴するであろう。しかしその騰貴が永続するか否かは、労働の自然価格もまた騰貴したか否かの問題に依存するであろう。そしてこの問題はまたも、それに労働の労賃が費される所の必要品の自然価格の騰貴に依存するであろう。
 労働の自然価格は、食物及び必要品でもって測られた時ですら、絶対的に固定的であり恒久的であると考えてはならない。それは、同一国においても異なる時には変動し、そして異なる国においては極めて著しく異なっている(註)。それは本質的に人民の習癖及び慣習に依存する。英国の労働者は、もしその労賃が彼をして、馬鈴薯以外の食物を購買し得しめず、また土小屋よりも良い住宅に住み得しめないならば、それはその自然率以下にあり、そして少きに過ぎて家族を支持し得ない、と考えるであろう。しかもこれは、しばしば、十分であると看做されているのである。英国の小屋で今日享受されている便利品の多くは、吾々の歴史の初期においては贅沢品と考えられたことであろう(編者註)。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(註)『一国において不可欠な家屋及び衣服も、他の国においては決して必要ではないこともあろう。そしてヒンドスタンの労働者は、彼れの自然労賃として、ロシアの労働者を死から免れしめるに足らぬような被服の供給を受けているに過ぎぬとはいえ、元気一杯に働き続け得よう。同一の気候に位置する国においてさえ、異る生活習慣は、しばしば、自然的原因によって生み出されるものと同様に顕著な労働の自然価格における変動を惹起するであろう。』――アール・トランズ殿著『外国穀物貿易に関する一論』、六八頁。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから3字下げ]
 この問題の全体はカアネル・トランズによって最もよく例証されている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(編者註)この章句及びこれに類する他の章句は、常にまたはほとんど常に、彼らがリカアドウの労賃鉄則と名づけているものと嫌忌をもって語る人々によっては、忘れられている。しかしながらそれは最も重要なものである。
[#ここで字下げ終わり]
 社会の進歩につれて、製造貨物は常に下落しそして粗生生産物は常に騰貴することによって、富める国においては、労働者は彼れの食物のわずかに少量を犠牲にすれば、彼れのすべての他の欲する所を豊富に備えることが出来る、というような、両者の価値の不釣合が遂に作られるのである。
 貨幣価値の変動――それは必然的に貨幣労賃に影響を及ぼすが、しかし吾々は、貨幣は常に同一の価値を有つものと考えて来たから、ここでは何らの作用もないものと仮定して来た――を別とすれば、労賃は二つの原因によって騰落を蒙るように思われる、すなわち、
 第一、労働者の供給及び需要。
 第二、それに労働の労賃が費される貨物の価格。
(三八)社会の異る段階においては、資本または労働を雇傭する手段の蓄積は、その速度の速いことも遅いこともあり、そしてそれはあらゆる場合において労働の生産力に依存しなければならない。労働の生産力は、肥沃な土地が豊富にある時に、一般に最大である。かかる時期においては蓄積はしばしば極めて速かであるために、労働者は資本と同一の速度で供給され得ないのである。
 好都合な事情の下においては人口は二十五年で倍加し得ると計算されている。しかし、同様の好都合な事情の下においては、一国の全資本はおそらくより[#「より」に傍点]短い時期に倍加され得よう。その場合には、労賃は全期を通じて、騰貴する傾向を有つであろうが、けだし労働に対する需要が供給よりもなおより[#「より」に傍点]速かに増加するであろうからである。
 遥かに文明の進んだ国の技術及び知識が導入された新植民地においては、資本はおそらく人間よりもより[#「より」に傍点]速かに増加する傾向を有つであろう。そしてもし労働者の欠乏がより[#「より」に傍点]人口稠密な国によって供給されないならば、この傾向は極めて著しく労働の価格を騰貴せしめるであろう。これらの国が人口稠密となり、そしてより[#「より」に傍点]悪い質の土地が耕作されるに至るに比例して、資本の増加への傾向は減少する、けだし現存の人口の欲望を満した後に残る剰余生産物は、必然的に、生産の容易さに、すなわち生産に使用される人数のより[#「より」に傍点]小なるに、比例しなければならぬからである。しからば、たとえ最も有利な事情の下においてはおそらく生産力は人口の増加力よりもなおより[#「より」に傍点]大であろうとはいえ、それは久しくそうではないであろう。けだし土地はその量が限られておりかつその質が異っているから、その上に用いられる資本全部が増加するごとに、生産率は減少するであろうが、しかし人口増加力は常に引続き同一であるからである。
 肥沃な土地は豊富であるが、しかし、住民の無智、怠惰、及び野蛮のために彼らが欠乏及び饑饉のあらゆる害悪に曝されており、かつ人口が生活資料を圧迫しているといわれている所の国においては、粗生生産物の供給率が逓減するために過剰人口のあらゆる害悪が経験されている旧開国において必要なそれとは、極めて異る救治策が用いられなければならない。一方の場合においては、悪政、財産の不安固、及び人民のあらゆる階級における教育の欠乏から、害悪が発生するのである。より[#「より」に傍点]幸福にされんがためには、人口増加以上の資本の増加が不可避な結果であろうから、人民はただ、より[#「より」に傍点]良く統治されかつ教育される必要があるのみである。いかなる人口増加も多過ぎることは有り得ないが、それは生産力が更により[#「より」に傍点]大であるからである。他方の場合においては、人口はその支持に必要とされる基金よりもより[#「より」に傍点]速かに増加する。あらゆる勤労の努力も、人口増加率の減少を伴わぬ限り、生産が人口と歩調を共にし得ないから害悪を増加するであろう。
 人口が生活資料を圧迫している時には、唯一の救治策は、人口の減少かまたは資本のより[#「より」に傍点]速かな蓄積かである。すべての肥沃な土地が既に耕作されている富める国においては、後者の救治策は極めて行いやすいわけでもなくまた極めて望ましいわけでもない、けだしその結果は、それが行われ過ぎるならば、すべての階級を等しく貧しくすることであろうからである。しかし肥沃な土地がなお未だ耕作されていないために豊富な生産手段が貯えられてある貧しい国においては、特にその結果は人民のすべての階級を向上せしめることにあるから、それは唯一の安全なかつ有効な害悪除去の方法である。
 人道の友は、すべての国において、労働階級が愉楽品及び享楽品に対して嗜好を有ち、かつ彼らが、あらゆる法律上の手段によって、それらを獲得せんと努力するのを奨励されることを、希望せざるを得ない。これ以上の保証は過剰人口に対して有り得ない。労働階級が最少の欲望を有ちかつ最も低廉な食物で満足している国においては、人民は最大の不安と窮乏とに曝されている。彼らは災害から逃れる避難所を有たない。彼らはより[#「より」に傍点]低い地位に安全を求めることは出来ない。彼らの地位は既に極めて低いのでより[#「より」に傍点]低く落ちることもできない。彼らの主たる生存資料が少しでも欠乏する場合には、彼らが手にし得る代用品はほとんどなく、そしてその欠除は饑饉の害悪のほとんどすべてを伴うのである。
(三九)社会の自然的進歩につれて、労働の労賃は、それが供給と需要とによって左右される限り、下落する傾向を有つであろう。けだし、労働者の供給は引続き同一率で増加するであろうが、他方彼らに対する需要はより[#「より」に傍点]遅い率で増加するであろうからである。例えばもし労賃が、二%の率における資本の年々の増加によって左右されているとするならば、それが単に一・二分の一%の率において蓄積されるに過ぎない時には、労賃は下落するであろう。それが単に一%または二分の一%の率において増加するに過ぎない時には労賃はより[#「より」に傍点]低く下落し、そして資本が停止的になるまで引続き下落するであろうが、その時には労賃もまた停止的となり、そしてわずかに現実の人口数を維持するに足るに過ぎないであろう。かかる事情の下においては、もし労賃が単に労働者の供給及び需要によって左右されるに過ぎなければ、それは下落するであろう、と私はいう。しかし吾々は、労賃は、それに労賃が費される貨物の価格によってもまた左右されることを忘れてはならない。
 人口が増加するにつれて、かかる必要品はその生産により[#「より」に傍点]多くの労働が必要となるから、絶えず価格において騰貴しつつあるであろう。しからば、もし労働の貨幣労賃が下落し、他方それに労働の労賃が費されるあらゆる貨物が騰貴するならば、労働者は二重に影響を蒙り、そしてまもなく全然生存を奪われるであろう。従って労働の貨幣労賃は下落せずして騰貴するであろう、しかしそれは、労働者をして、慰楽品及び必要品の価格騰貴の前に彼が購入したと同一のそれらの貨物をば買い得しめるほど十分には騰貴しないであろう。もし彼れの年々の労賃が、以前には、二四|磅《ポンド》、すなわち価格が一クヲタアにつき四|磅《ポンド》の時に六クヲタアの穀物であったならば、穀物が一クヲタアにつき五|磅《ポンド》に騰貴した時には、彼はおそらく単に五クヲタアの価値を受取るに過ぎないであろう。しかし五クヲタアは二五|磅《ポンド》を要費するであろうし、従って彼は、その貨幣労賃においてある附加を受取るであろう。もっともこの
前へ 次へ
全70ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング