皷ソ格について

(三三)労働をもって貨物の価値の基礎となし、かつその生産に必要な労働の比較的分量をもって、相互の交換において与えらるべき財貨の各々の分量を決定する規則となすに際して、吾々は、貨物の実際価格、すなわち市場価格が、この、それらのものの第一次的かつ自然価格から、偶然的なかつ一時的な偏倚をすることを否定するものと、想像されてはならない。
 通常の事態においては、かなり久しく、人類の欲望及び願望が要求する正確にその程度に、豊富に、引続き供給される貨物はなく、従って偶然的なかつ一時的な価格の変動を蒙らないものはない。
 資本が、たまたま需要されている種々なる貨物の生産に対し、過不足なきちょうどその必要な分量において、正確に割当てられるのは、ただかかる変動の結果たるに過ぎない。価格の騰落と共に、利潤はその一般的水準以上に騰貴しまたはそれ以下に下落する、そして資本は、そこで変動が起った所の特定の職業に入り込むように刺戟されるか、またはそれから退去するように警告されるのである。
 あらゆる者がその資本をその好む所に自由に用い得る間は、彼は当然に最も有利な職業をそのために求めるであろう。彼は当然に、彼れの資本を移せば一五%の利潤を獲得し得るならば、一〇%の利潤をもって満足しないであろう。より[#「より」に傍点]有利な事業に向わんがためにより[#「より」に傍点]不利益なものを棄てんとする、あらゆる資本使用者の側のこの不断の願望は、すべてのものの利潤率を均等ならしめ、もしくは、一人が他人に優れて有つべき、または有つと思わるべき所の、得点に対し、当事者の評価の上で補償するが如き比例に、利潤率を固定する、強い傾向を有っている。この変化が行われる過程を辿ることはおそらく極めて困難であろう。それはおそらく製造業者がその職業を絶対的には変更しないがただその職業に彼が投じている資本の分量を減少するということによって、行われるであろう。すべての富める国においては、金持階級と呼ばれるものを構成しているある数の人がいる。これらの人はいかなる事業にも従事せず、手形の割引や、または社会のより[#「より」に傍点]勤勉な部分に対する貸金に用いられている所の、彼らの貨幣の利子で生活している。銀行業者もまた同一の目的物に大資本を用いている。かくの如く用いられた資本は多額の流動資本を形造り、そしてその比例には大小があるが、一国のあらゆる種々なる事業によって用いられている。おそらくいかに富んでいても、その事業を彼自身の資本だけでなし得る範囲内にのみ限る製造業者はないであろう、彼は常にこの流動資本のある部分を有し、それは彼れの貨物に対する需要の活溌《かっぱつ》性に応じ増減しつつある。絹布に対する需要が増加し、毛織布に対するそれが減少する時には、毛織布業者は、彼れの資本と共に絹織業には移らずに、彼れの労働者の若干を解雇し、銀行業者や金持からの貸金に対する需要を止める。他方絹布製造業者の場合は反対である。彼はより[#「より」に傍点]多くの労働者を使用せんと欲し、かくて借入に対する彼れの動機は増加する。彼はより[#「より」に傍点]多くを借入れ、かくて資本は、一製造業者がその常職業を止める必要なしに、一職業から他のそれに移転される。吾々が大都市の市場に注目し、そしていかに規則正しく、それが、趣味の変遷や人口数の変化から起るあらゆる事情の下において、国内のまたは外国の貨物の必要な分量の供給を受け、しかも余りに豊富な供給による滞貨や供給が需要に等しくないことから起る著しく高い価格という諸結果をしばしば生ずることのないのを観察する時には、吾々は、資本を事業に、そのまさに必要とする分量において割当てる所の原理が、一般に想像されているよりもより[#「より」に傍点]活溌に働いていることを、認めなければならないのである。
(三四)一資本家は、その資金に対して有利な用途を探し求めるに当り、一つの職業が他の職業以上に有つ所のすべての得点を、当然考慮に入れるであろう。従って彼は、一つの職業が他の職業以上に有つ所の、安固や清潔や容易やその他の実際のまたは想像上の得点を考慮して、その貨幣利潤の一部分を喜んで抛棄することもあろう。
 もし、かかる事情についての考慮によって、資本の利潤が調整され、その結果一つの事業においては利潤は二〇%、ある他の事業においては二五%、またある他の事業においては三〇%となるならば、これらはおそらく引続き永久的に、この相対的差異を、そしてこの差異のみを、維持するであろう。けだしもし何らかの原因がこれらの事業の一つにおける利潤を一〇%だけ引上げたとしても、しかもかかる利潤は一時的であってまもなく再びその通常の地位に復帰するか、または他の職業の利潤が同一の比例において引上げられるであろうからである。
 現在はこの記述の正当性に対する例外の一つであるように思われる。戦争の終結が、以前に存在したヨオロッパにおける職業の分割を大いに狂わしたために、あらゆる資本家は、なお未だ、現在必要になっている新しい分割において占むべき彼れの地位を発見していないのである。
 すべての貨物がその自然価格にあり、従ってすべての職業における資本の利潤が正確に同一の率にあり、または当事者が所有しあるいは抛棄するある真実のまたは想像上の得点に、彼らの評価において、等しい額だけ、異なるに過ぎない、と仮定しよう。今、流行の変化が、絹布に対する需要を増加し、そして毛織物に対するそれを減少した、と仮定せよ。それらの自然価格すなわちその生産に必要な労働量は引続き不変であろうが、しかし絹布の市場価格は騰貴し、毛織物のそれは下落するであろう。従って絹布製造業者の利潤は一般的のかつ調整された利潤以上に、他方毛織物製造業者のそれはそれ以下に、なるであろう。啻に利潤のみならず労働者の労賃もまた、これらの職業において、影響を蒙るであろう。しかしながら、絹布に対するこの需要増加は、毛織物製造から絹布製造へ資本と労働とが移転することによって、直ちに供給されるであろう。その時には絹布及び毛織物の市場価格は再びその市場価格に接近し、かくて通常の利潤がこれらの貨物の各々の製造業者によって取得されるであろう。
 かくして、貨物の市場価格が引続きある期間に亙ってその自然価格の遥か上または遥か下にあることを妨げるものは、あらゆる資本家がその資金をより[#「より」に傍点]不利な職業からより[#「より」に傍点]有利なそれに転じようとする願望である。貨物の生産に必要な労働に対する労賃と、用いられた資本をその本来的能率状態に置くために必要なすべての他の費用とを、支払った後に、残余の価値すなわち余剰があらゆる事業において使用された資本の価値に比例するように、貨物の可変的価値を調整するのは、この競争である。
『諸国民の富』の第七章(編者註一)において、この問題に関するすべてが最も巧みに取扱われている。資本の特定の用途において、偶発的原因によって、諸貨物の価格、並びに労働の労賃及び資本の利潤、の上に生み出されるが、貨物の一般的価格、一般的労賃、または一般的利潤には、――社会のあらゆる段階において平等に作用するから、――影響することのない、一時的諸結果を十分認めたのであるから、吾々は、これらの偶発的原因とは全然無関係な諸結果たる、自然価格、自然労賃及び自然利潤を左右する法則を取扱う間は、それを全然度外視するであろう(編者註二)。しからば貨物の交換価値すなわちある一貨物が有つ購買力について論ずるに当っては、私は常に、ある一時的なまたは偶発的な原因によって妨げられないならばそれが有するであろう所のその力を意味するのであり、そしてそれはその自然価格である。
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(編者註一)第一巻。
(編者註二)『あなたは常に特定の変化の直接のかつ一時的の諸結果を心に画《えが》いているが、しかるに私はこれらの直接のかつ一時的の諸結果を全然度外視し、そして私の全注意を、それから結果するであろう所の永久的な事物の状態に固着させている。おそらくあなたはこれらの一時的諸結果を余りに高く評価し過ぎているが、しかるに私は余りにそれらを過少評価せんとする気になっているのである。』――マルサスへのリカアドウの書簡、一八一七年一月二十四日。書簡集、一二七頁。
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    第五章 労賃について

(三五)労働は、売買され、かつ量において増減され得るすべての他の物と同じく、その自然価格とその市場価格とを有っている。労働の自然価格とは、労働者をして共に生存しかつその種族を増加も減少もせずに永続し得せしめるに必要な価格である。
 労働者が、彼自身、及び労働者の数を維持するに必要であろう所の家族を、支持する力は、彼が労賃として受取る貨幣量には依存するものではなくて、その貨幣が購買するであろう所の、慣習により彼に不可欠となってなっている食物、必要品、及び便利品の量に依存するものである。従って労働の自然価格は、労働者及び彼れの家族の支持に必要とされる食物、必要品、及び便利品の価格に依存する。食物及び必要品の価格の騰貴と共に労働の自然価格は騰貴し、その価格の下落と共に、労働の自然価格は下落するであろう。
 社会の進歩と共に、労働の自然価格は常に騰貴する傾向を有っているが、けだしそれによってその自然価格が左右される主たる貨物の一つが、その生産の困難の増大によって、より[#「より」に傍点]高くなる傾向を有つからである。しかしながら、農業における改良そこから食物が輸入される新市場の発見は、必要品の価格の騰貴への傾向を一時妨げ、そしてその自然価格を下落せしめることさえあるから、この同一の原因は労働の自然価格の上にそれに相応ずる結果を生み出すであろう。
 粗生生産物及び労働を除くすべての貨物の自然価格は、富と人口との増進につれて、下落する傾向を有っている、けだし、一方においてそれは、それをもって造られる所の粗生原料の自然価格の騰貴によって、真実価格が騰貴しはするけれども、これは、機械の改良により、労働のより[#「より」に傍点]良き分割及び分配により、及び生産者の知識と技術と両者における熟練の増加によって、相殺されて余りあるからである。
(三六)労働の市場価格とは、需要に対する供給の比例の自然的作用によって、労働に対して実際支払われる価格である。労働はそれが稀少な時に高く、そしてそれが豊富な時に低廉である。労働の市場価格がその自然価格からいかに離れようとも、それは、諸貨物と同様に、これに一致せんとする傾向を有っているのである。
 労働者の境遇が繁栄なかつ幸福なものであり、彼が生活の必要品及び享楽品のより[#「より」に傍点]多くの分量をその力の中に支配し、従って健康なかつ数多き家族を養う力を有つのは、労働の市場価格がその自然価格に超過している時においてである。しかしながら、高き労賃が人口の増加に対し与える奨励によって、労働者数が増加される時には、労賃は再びその自然価格にまで下落し、そして事実反動によって、時にはそれ以下に下落するのである。
(三七)労働の市場価格がその自然価格以下にある時には、労働者の境遇は最も悲惨である。その時には、貧困が彼らから、慣習が絶対必要品たらしめている慰楽物を奪ってしまう。労働の市場価格がその自然価格にまで騰貴し、そして労働者が労賃の自然率の与える相当の慰楽品を手に入れるようになるのは、彼らの窮乏が彼らの数を減じ、または労働に対する需要が増加した後のことでしかない。
 その自然率に一致せんとする労賃の傾向にもかかわらず、その市場率は、進歩しつつある社会においては、不定の時期の間、絶えずそれ以上にあるであろう。けだし、増加資本が労働に対する新しい需要に与える刺戟が満たされるや否や、直ちに他の資本増加が同一の結果を生み出すからである。かくて資本の増加が漸次かつ不断であるならば、労働に対する需要は、人口の増加に対して連続的の刺戟を与えるであ
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