ソ、
[#ここから5字下げ]
 一二五
 一一五
 一〇五
  九五
――――
 四四〇
[#ここで字下げ終わり]
}に増加されるであろう。[#「}に増加されるであろう。」は前の6行にわたる]
しかし、生産物のかかる増加があっても、需要の増加がなければ(註)、これだけの資本を土地に用いる動機は存在し得ないであろう。一部分は引去られ、従って資本の最後の部分は、九五ではなく一〇五を生産し、そして地代は三〇に、すなわち、
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一〇五と一二五との差===二〇
一〇五と一一五との差===一〇
          ―――――
             三〇
[#ここで字下げ終わり]
}に下落するであろう、[#「}に下落するであろう」は前の4行にわたる]
他方生産物はなお人口の欲求する所を満たすに足るであろう、けだし需要は単に三四〇クヲタアに過ぎないのに、それは三四五クヲタア、すなわち、
[#ここから5字下げ]
 一二五
 一一五
 一〇五
――――
 三四五
[#ここで字下げ終わり]
}であろうから。[#「}であろうから。」は前の5行にわたる]
しかし、土地の貨幣地代は低めるであろうが、穀物地代は低めることなくして、生産物の相対価値を低める所の改良がある。かかる改良は土地の生産力を増加しないが、しかしそれは吾々をしてより[#「より」に傍点]少ない労働をもってその生産物を獲得し得せしめるものである。それは土地自身の耕作に向けられるよりはむしろ、土地に充用される資本の構成に向けられる。鍬や打穀機の如き農業器具の改良、耕作に用いられる馬の使用上の節約、及び獣医術の知識の進歩は、かかる性質のものである。より[#「より」に傍点]少い資本――それはより[#「より」に傍点]少い労働と同じことであるが――が土地に用いられるであろう。しかし同一の生産物を得るためには、より[#「より」に傍点]少い土地が耕作されるのでは足りない。しかしながら、この種の改良が穀物地代に影響を及ぼすか否かは、資本の種々なる部分の使用によって得られる生産物の差違が、増加したか、停止的であるか、または減少したかの問題に、依存しなければならない。もし同一の結果を各々与える所の五〇、六〇、七〇、八〇という資本の四部分が土地に使用され、そしてかかる資本の構成におけるある改良が私をして、その各々から、五を引去ることを得しめ、それがためにそれらが四五、五五、六五、及び七五となるならば、穀物地代には何らの変動も起らないであろう。しかしもしその改良が私をして、最も不生産的に使用されている資本部分の全部の節約をなし得せしめるというが如きものであるならば、穀物地代は直ちに下落するであろうが、それはけだし最も生産的な資本と最も不生産的な資本との差違が減少せしめられるからであり、そして地代を形造るものはこの差違であるからである。
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(註)私は、農業におけるあらゆる種類の改良が地主に対して有する重要性を過少評価するものと、理解されざらんことを希望する、――その直接の結果は地代を低めることである。しかしそれは人口に対して大なる刺戟を与え、かつそれと同時に吾々をしてより[#「より」に傍点]少い労働でより[#「より」に傍点]貧弱な土地を耕作し得せしめるから、それは終局的には地主に対し大いに有利なものである。しかしながらそれまでには、この改良が彼に対し積極的に不利な時期が経過しなければならない。
[#ここで字下げ終わり]
 これ以上例を列挙しなくとも、私は、同一のまたは新しい土地に、逐次用いられる資本部分から得られる生産物の不平等を減少せしめるものは何でも、地代を低下せしめる傾向があり、そしてこの不平等を増加せしめるものは何でも、必然的に反対の結果を生み、そして地代を引上げる傾向があることを、証明するに足るだけのことを、述べたと考える。
 地主の地代について論ずるに当り、吾々はむしろそれを、ある一定の農場に投ぜられた一定の資本によって得られた生産物の一部分と看做し、その交換価値には少しも触れなかった。しかし生産の困難という同一の原因が、粗生生産物の交換価値を引上げ、かつまた地主に地代として支払われる粗生生産物のその部分をも引上げるのであるから、地主は生産の困難によって二重に利益を受けることは明かである。第一に、彼はより[#「より」に傍点]大なる分け前を得、そして第二にそれによって彼が支払を受ける貨物の価値が騰貴するのである(註)。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(註)このことを明瞭ならしめ、かつ穀物地代と貨幣地代とが変動する程度を示すために、次の如く仮定しよう。すなわち十名の人間の労働が一定の地質の土地において一八〇クヲタアの小麦を得、そしてその価値は一クヲタアにつき四|磅《ポンド》すなわち七二〇|磅《ポンド》であり、そして十名の附加された人間の労働は同一のまたは異る土地において、単に一七〇クヲタアしか余計に生産するに過ぎないとしよう。小麦は四|磅《ポンド》から四|磅《ポンド》四シリング八ペンスに、騰貴するであろう、けだし、170:180::£4:£4 4s. 8d. であるから、または一七〇クヲタアの生産において、一方の場合には十名の人間の労働が必要であり、他方の場合には単に九・四四名の労働が必要であるに過ぎぬのであるから、その騰貴は九・四四から一〇に、すなわち四|磅《ポンド》から四|磅《ポンド》四シリング八ペンスになるであろう。もし十名の人間が更に用いられ、そして収穫が
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一六〇であるならば、価格は四|磅《ポンド》一〇シリング〇ペンスに騰貴し、
一五〇であるならば、価格は四|磅《ポンド》一六シリング〇ペンス、
一四〇であるならば、価格は五|磅《ポンド》二シリング〇ペンスに騰貴するであろう。
[#ここで字下げ終わり]
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 さてもし、穀物が一クヲタアにつき四|磅《ポンド》である時に、一八〇クヲタアを産出する土地に対し何らの地代も支払われないならば、単に一七〇が得られるに過ぎない時には、一〇クヲタアの価値が支払われるであろうが、それは四|磅《ポンド》四シリング八ペンスならば四二|磅《ポンド》七シリング六ペンスであろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
一六〇が生産される時には、二〇クヲタア、すなわち四|磅《ポンド》一〇シリングならば九〇|磅《ポンド》。
一五〇が生産される時には、三〇クヲタア、すなわち四|磅《ポンド》一六シリングならば一四四|磅《ポンド》。
一四〇が生産される時には、四〇クヲタア、すなわち五|磅《ポンド》二シリング一〇ペンスならば二〇五|磅《ポンド》一三シリング四ペンス。
 穀物地代は{一〇〇/二〇〇/三〇〇/四〇〇}の比例において、かつ貨幣地代は{一〇〇/二一二/三四〇/四八五}の比例において増加するであろう。[#この行「{}」に挟まれ「/」で区切られた要素は、底本では真横に並ぶ]
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    第三章 鉱山の地代について

(三二)金属は、他の物と同様に、労働によって得られる。もちろん、自然がそれを生産するのではあるが、しかしそれを地球の内部から採掘し、そして吾々の使用に備えるのは、人間の労働である。
 土地と同じく鉱山も一般にその所有者に地代を支払う、そして土地の地代と同じく、この地代は、その生産物の高き価格の結果であって決してその原因ではない。
 もし、何人も占有し得る所の、等しく肥沃な鉱山が豊富にあるとすれば、それは地代を生じ得ないであろう。その生産物の価値は、鉱山から金属を採掘しそれを市場に齎すに必要な労働の分量に依存するであろう。
 しかし等しい分量の労働をもって極めて異れる産物を与える所の、種々なる等級の鉱山がある。採掘されている最劣等の鉱山から生産された金属も、少くとも、啻にそれを採掘しその生産物を市場に齎すことに従事する者によって消費される所のあらゆる衣服、食物、その他の必要品を取得するに足るばかりではなく、更にまたこの企業を経営するに必要な資本を前貸する人に、一般通常の利潤を与えるに足る所の、交換価値を有たなければならぬ。何ら地代を支払わない最劣等の鉱山からの資本への報酬が、他のより[#「より」に傍点]生産的なすべての鉱山の地代を左右するであろう。この鉱山は通常の資本の利潤を生むものと仮定されている。この鉱山以上に他の鉱山が生産する所のすべては必然的に地代として所有者に支払われるであろう。この原理は、吾々が土地について既に述べた所と正確に同一であるから、それを更に敷衍する必要はなかろう。
 粗生生産物及び製造貨物の価値を、左右すると同一の一般的規則が、金属にもまた適用され得るものであり、その価値は、利潤率にも労賃率にも、また鉱山に対して支払われる地代にも依存せず、金属を獲得し、それを市場に齎らすに必要な労働の全量によって定まるのであることを、注意すれば足るであろう。
 あらゆる他の貨物と同様に、金属の価値は変化を蒙る。採鉱に用いられる器具及び機械に、改良がなされ、これによって等しく労働が節約されるかもしれず、新しいより[#「より」に傍点]生産的な鉱山が発見され、そこでは同一の労働をもって、より[#「より」に傍点]多くの金属が得られるかもしれず、またはそれを市場に齎す利便が増すかもしれない。これらの場合のいずれにおいても、金属は価値において下落し、従って他のより[#「より」に傍点]少い分量と交換されるであろう。他方において鉱山が採掘されなければならぬ深度の増大や、溜水や、その他の出来事によって惹起される所の、金属獲得の困難の増大のために、他の物と比較してその価値は、著しく騰貴することもあろう。
 従って、いかに正直に一国の鋳貨がその本位に一致していようとも、金及び銀で造られた貨幣はなお価値における変動を蒙り、他の貨物と同様に、啻に偶然的な一時的な変動のみならず、更にまた永続的な自然的な変動をも蒙る、といわれているが、それは正当である。
 アメリカの発見と、そこに多くある豊富な鉱山の発見によって、貴金属の自然価格に対し、極めて大きな影響が生み出された。この影響は、多くの者によって、未だ終っていないと想像されている。しかしながらおそらく、アメリカ発見の結果生じた所の、金属の価値に対するあらゆる影響は、疾《と》うに終ってしまっているであろう。そしてもし近年その価値において下落が起ったとすれば、それは鉱山採掘法における諸改良に帰せらるべきものである。
 いかなる原因からそれが起ったにしろ、その影響は極めて緩慢でかつ徐々たるものであったために、金及び銀がすべての他の物の価値を評価する一般的媒介物であることには、ほとんど実際上の不便は感ぜられなかった。それは疑いもなく価値の可変的尺度ではあるが、おそらくこれよりも変動を蒙ることの少い貨物はないであろう。これらの金属が有つこの得点、及びその他の例えばその硬性、その展性、その可分性、その他多くの得点の故に、それは正当にも文明国の貨幣の標準として到る処で使用され来ったのである。
 もし等しい分量の労働が、相等しい分量の固定資本をもって、あらゆる時において、地代を支払わない鉱山から等しい分量の金を取得し得るならば、金は事の性質上吾々が有ち得る限りでのほとんど不変的な価値尺度であろう。分量は実際需要につれて増加するであろうがしかしその価値は不変であろう。そしてそれはあらゆる他の物の価値の変動を測定するに、優れて良く適するであろう。私は既に本書の前の部分において、金はこの不変性を有つものと仮定したが、次の章においても私はこの仮定を続けるであろう。従って価格の変動について論ずる際には、その変動は常に貨物にあるものであり、決してそれが評価される所の媒介物には無いものであると、看做されるであろう。
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    第四章 自然価格及び市
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