製品の交換価値はそれに従って下落する。もし十名の人が磨穀器を廻していたとし、そして風か水の助力によってこの十名の人間の労働が節約され得ることが見出されたならば、一部分磨穀器によってなされる仕事の生産物たる麦粉の価値は、節約された労働量に比例して直ちに下落するであろう。そしてこの十名の維持に向けられた基金は毫も害されていないから、社会は彼らの労働が生産し得べき貨物だけより[#「より」に傍点]富むこととなるであろう。セイ氏は常に、使用価値と交換価値との間にある本質的差異を看過しているのである。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(註)『金属を火によって熔解する方法を知った最初の人は、この過程によって、熔解された金属に附加される価値の創造者ではない。その価値は、この知識を利用した人々の資本及び勤労に附加せられた火の物理的作用の結果である。』
[#ここで字下げ終わり]
『この誤謬よりしてスミスは、すべての生産物の価値は、近時または往時の労働を代表する、または換言すれば[#「または換言すれば」に傍点]、富は蓄積された労働に他ならない[#「富は蓄積された労働に他ならない」に傍点]、という誤った結論を引出したが、このことからして[#「このことからして」に傍点]、同様に誤った第二の推論によって[#「同様に誤った第二の推論によって」に傍点]、労働は富または生産物の価値の唯一の尺度である[#「労働は富または生産物の価値の唯一の尺度である」に傍点]、という結論を引出している。』セイ氏が結論としたこの推論は、彼自身のものであってスミス博士のものではない。もし価値と富との間に何らの区別もなされないのであるならば、これは正しい、そしてセイ氏はこの章句において何らの区別もしていないのである。しかし富をもって、生活の必要品、便利品、及び享楽品の豊富より成ると定義したアダム・スミスは、機械及び自然的要素が一国の富を極めて増加せしめることを認めたとはいえ、彼は、それがかかる富の価値を幾らかでも増加せしめるということは、認めはしなかったであろう。
 セイ氏は、すべての物の価値は人間の労働から得られると考えたために自然的要素及び機械によって貨物に与えられる価値を看過したといって、スミス博士を非難している。しかしこの非難が当っているとは思われない。けだしアダム・スミスはどこにおいてもこれらの自然的
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