って労働は、それによってその相対価値と同様にその真実価値が評価され得る共通の尺度である。これもまた、幸にしてデステュト・ドゥ・トラアシイ氏の意見のように思われる(註)。彼は曰く、『吾々の肉体的精神的能力のみが吾々の本来的富であることは確実であるから、それらの能力の使用すなわちある種の労働が、吾々の唯一の本来的宝であり、そして吾々が富と呼ぶすべての物、すなわち最も必要なもの並びに最も純粋に快適なものが創造されるのは常にこの物の使用によってである。すべてのそれらの物のみがそれを創造した労働を代表するものであり、かつもしそれが一つの価値、または二つの別箇の価値をさえ有つならば、それらの物は、それが生ずる源たる労働の価値から得られ得るのみであるということもまた、確実である。』
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(註)『観念学要論』、第四巻、九九頁――この書物において、ドゥ・トラアシイ氏は、経済学の一般原理に関する有用にしてかつ優れた論述をなしている、そして私は、彼が、彼れの権威をもって、『価値』、『富』及び『効用』なる言葉につきセイ氏が与えた定義を支持していることを、附記せざるを得ないのを、遺憾とするものである。
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 セイ氏は、アダム・スミスの大著の長所及び短所を論ずるに当って、『彼が人間の労働のみに、価値を生産する力を帰している』ことを、誤謬であるとして彼を非難している。『より[#「より」に傍点]正しい分析によれば、価値が、労働の活動またはむしろ人間の勤労と、並びに自然が提供する諸要素の活動及び資本の活動に、よるものなることが、吾々にわかる。彼はこの原理を知らなかったために、彼は富の生産における機械の影響に関する真の理論を樹立し得なかったのである。』
 アダム・スミスの意見とは反対に、セイ氏は第四章において、時に人間の労働に代位されまた時には生産において人間と協力する所の、太陽、空気、気圧の如き、自然的要素によって貨物に与えられる価値について論じている(註)。しかしこれらの自然的要素は、貨物の使用価値[#「使用価値」に傍点]を増加することは大であるとはいえ、いまセイ氏が論じつつある交換価値を決して増加せしめるものではない。機械の助力によりまたは自然科学の知識により、自然的要素をして以前に人間がなしていた仕事をなさしめるに至るや否や、かかる
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