い。従ってセイ氏が価値、富、及び効用を同義語と考えているのは正当であり得ない。もちろんセイ氏の著書には、価値及び富の本質的差異について私が主張している学説を支持するために、安んじて引用し得る多くの部分があるが、しかし反対の学説が主張されている色々な他の章句もあることを、云わなければならない。私はこれらの諸章句を調和せしめることが出来ない。さればセイ氏がその著作の将来の版で、これらの考察に注意されるが如き場合には、私と同じく他の多くの人々が、彼れの見解を解釈せんと努めるに当って感ずる困難を、一掃するが如き説明を与えられんがために、私はこれらの章句を互に対照せしめてこれを指摘しておく。
[#ここから一字下げ、折り返して二字下げ、ここから二段組]
一、二つの生産物の交換においては、吾々は単に事実上それらを創造するに役立った生産的勤労を交換しているに過ぎない。…………五〇四頁。
二、生産費から生ずるもの以外に真実の高価ということはない。真実に高価な物は、生産に多くを費されるものである。…………四九七頁。
三、一生産物を創造するために消費されなければならぬすべての生産的勤労の価値が、その生産物の生産費を構成する。…………五〇五頁。
四、一貨物に対する需要を決定するものは効用であるが、しかしその需要の範囲を限定するものはその生産費である。その効用がその価値を生産費の水準にまで高めない時には、その物はそれに要した費用に値しない。それは、生産的勤労がそれ以上の価値を有つ一貨物の創造に使用され得べかりしことの一証拠である。生産的基金の所有者、すなわち、労働、資本、または土地を処分し得る人々は、絶えず生産費と生産されたものの価値とを比較することに、または同じことに帰着するが、種々なる貨物の価値を相互に比較することに従事している。けだし生産費は一生産物を形成するに当って消費される生産的勤労の価値に他ならず、そして一生産的勤労の価値はその結果たる貨物の価値に他ならないからである。かくて一貨物の価値、一生産的勤労の価値、生産費の価値はすべて、あらゆる物がその自然的過程に委ねられている時には、同様な価値である。
五、所得の価値は、もしそれが生産物のより[#「より」に傍点]大なる分量を(いかなる方法によろうとそれは重要ではないが)獲得し得るならば、その時に増加される。
六、価格は諸物の価値の尺度
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