隅においやるの権利は、道徳上の観点から疑問を挿み得よう。彼らの精神を進歩させ彼らの勤労を指導するという過程は、必然的に徐々たるものであろう。そしてこの期間に、人口は規則正しく増加し行く生産物と歩調を合せるであろうから、高度の知識と勤労とが直ちに肥沃な未占有地に働きかけることになるということは、ほとんどないであろう。新植民地で時に起る如くに、かかる事態が生じたとしても、幾何級数は異常に急速に増加するので、この利点は永続し得ないであろう。もしアメリカ合衆国が増加し続けるならば――これは確かに事実であろう、もっともその速度は前と同じではなかろうが――インディアンはますます奥地へとおいやられ、遂にはこの全種族は絶滅され、そして領地はそれ以上拡張し得なくなるであろう(訳註)。
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〔訳註〕『そして領地はそれ以上……』は第五版より現る。
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右に述べたところは、ある程度、土壌が不完全にしか耕作されていない一切の地方にあてはめることが出来る。アジアやアフリカの最大部分の住民を絶滅するということは、一瞬といえども許され得ない思想である。韃靼人や黒人の種々なる種族を文明化しその勤労を指導するということは、確かに、著しく長時間を要し、しかもその成功の程度も確実性も当てにならぬ仕事であろう。
ヨオロッパは決してその極点まで人口が稠密になっていない。ヨオロッパには、人類の勤労が最良の指導を受け得る可能性が最も多い。農学は英蘭《イングランド》及び蘇格蘭《スコットランド》において大いに研究されて来ている。そしてなおこれら諸国には広大な未耕地がある。そこで、改良に最も好都合な事情の下において我国の生産物がどんな比率で増加すると想像し得るかを、考えてみよう。
もし、最良可能の政策により、また大きな農業奨励により、この島国の平均生産物が最初の二十五年で倍加され得る、と認められるならば、これはおそらく、合理的に期待し得る以上の増加を認めていることになろう。
次の二十五年に、生産物が四倍にされ得ると想像することは、不可能である。これは地質に関する吾々の一切の知識に反するであろう。不毛地の改良は時間と労働とを要する仕事であろう。そして農業上の問題を少しでも知っているものには、耕作が拡張されるに比例して、以前の平均生産物に年々加えられ得る増加は、徐々にかつ規則正しく、逓減して行かなければならぬことは、明かでなければならない。そこで、人口と食物との増加をより[#「より」に傍点]よく比較し得んがために、正確をよそおうことなくして、土地の性質に関し吾々が有ついかなる経験が保証するよりも以上に明かに土地の生産力にとり有利な過程をしてみよう。
以前の平均生産物に対し加えられる、年々の増加が減少することなくして――これは確かに減少するであろうが――依然同一であり、そしてわが島国の生産物が二十五年ごとに、現在の生産額と等量だけ増加され得る、と仮定しよう。最大の楽天家といえどもこれ以上に大きな増加を仮定することは出来ない。かくて数世紀にしてこの島国は寸地も余さず花園のようになるであろう(訳註)。
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〔訳註〕以上三つのパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 21−22. にある。ただし農業生産の特殊性に関する説明が詳細になっている。
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もしこの仮定が地球全体にあてはめられ、そしてもし土地が与える人間の生活資料が二十五年ごとに現在の生産額だけ増加され得ることが認められるならば、これは、あらゆる可能な人類の努力がなし得ると吾々が想像し得る遥か以上の増加率を仮定することになるであろう。
従って、土地の現在の平均状態を考慮して、生活資料は、人類の勤労に最も好都合な事情の下において、算術級数以上に速《すみや》かにはおそらく増加せしめられ得ない、と立派に云えるであろう(訳註)。
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〔訳註〕このパラグラフに該当するものは、1st ed., p. 23.
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これら二つの異る増加率を一緒にした場合に必然的に生ずる結果は、極めて驚くべきものがあろう。この島国の人口を一千百万とし、現在の生産物はこの数を容易に養うに等しいものであると仮定しよう。最初の二十五年では、人口は二千二百万となり、また食物も倍加されるから生活資料はこの増加に等しいであろう。次の二十五年では、人口は四千四百万となり、生活資料はわずかに三千四百万を養うにに等しいだけであろう。その次の時期には、人口は八千八百万となり、生活資料はちょうどその半数を養うに等しいだけであろう。かくて最初の一世紀の終りには、人口は一億七千六百万となり、生活資料はわずかに五千五百万を養うに等しいのみであり、一億二千百万の人口は全く食物を与えられないということになるであろう(訳註)。
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〔訳註〕このパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 23−24.
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この島国の代りに地球全体をとれば、移民はもちろん別問題になる。そして、現在の人口を十億に等しいと仮定すれば、人類は一、二、四、八、一六、三二、六四、一二八、二五六と増加し、そして生活資料は一、二、三、四、五、六、七、八、九と増加するであろう。二世紀すれば、人口の生活資料に対する比は二五六対九となり、三世紀すれば四〇九六対一三となり、そして二千年たてばその開きはほとんど計算し得なくなるであろう。
右の仮定においては、土地の生産物に対してはいかなる限界もおかなかった。それは永久に増加し、そして指示し得るいかなる数よりも大となるであろう。しかもなお人口増加力はあらゆる時期において極めて優越するので、人類の増加は、より[#「より」に傍点]大なる力に対する妨げとして働くところの、かの強力なる必然の法則の不断の作用によってのみ、生活資料の水準に抑止され得るのである(訳註)。
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〔訳註〕以上二つのパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 25−26.
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[#改丁]
第二章 人口に対する一般的妨げとその働き方について
しからば、人口に対する窮極的妨げは、人口と食物とが増加する率が異るところから必然的に生ずる、食物の不足であることがわかる。
直接的妨げは、生活資料の稀少によって発するように思われる一切の慣習と一切の疾病、及び、この稀少とは関係がないが、時期に先立って人類の体躯を弱めかつ破壊する傾向のある、道徳的たると物理的たるとを問わず、一切の原因であると云い得よう(訳註)。
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〔訳註〕以上全部は第三版より現る。
[#ここで字下げ終わり]
あらゆる社会において不断に多かれ少なかれ有力に働いており、そして人口を生活資料の水準に保っている、人口に対するかかる妨げは、二つの一般的部類に分類され得よう、――すなわち予防的妨げと積極的妨げとに。
予防的妨げは、自発的である限りにおいて(訳註1)、人間に特有なものであり、人間をして遠い結果を秤量し得せしめる理性力の優越特性に発するものである。植物及び非理性的動物の不定限の増加に対する妨げは、すべて、積極的であるか、または予防的であるとしても非自発的である(訳註2)。しかし人間は、自己の周囲を見廻わし、そして大きな家族を有つ者をしばしば圧迫する窮情を見る時には、また現在ほとんど自分で消費しているその現在の財産か稼ぎ高を考え、そしてそれにほとんど加えるところなくしてこれをおそらく七人または八人に分たねばならぬ場合の各人の分前を計算してみる時には、彼がその思考の趣《おもむ》くままに従うならば、彼がおそらくはこの世にもたらすべき子供達を養うことが出来るであろうか、という疑惑を感ぜざるを得ないのである。平等社会(訳註3)という風なものがあり得るとすれば、かかる社会では、これは簡単な問題であろう。だが現在の社会状態においては、他の考慮が起って来る。彼は世におけるその地位を低め、そして以前の習慣を著しく抛棄せざるを得なくなりはしないであろうか。何かの仕事が現れて来て、それにより、一家を維持することを合理的に希望し得ようか。とにかく彼は、独身の場合よりも大きな困難と激しい労働とに身を委ねることにはならないであろうか。自分自身が身につけていると同じ教育と進歩とをその子供達に譲ることが出来ないのではなかろうか。大家族を有つならば、彼が出来るだけ努力しても、襤褸《らんる》と赤貧と、及びその結果たる社会における堕落とから、彼らを救い得るということでさえ、確信し得るだろうか。そしてその独立を失い、かつ慈善の乏しい手に暮しを頼らざるを得ないという、切端《せっぱ》つまった地位に立つことにはならぬであろうか、と。
[#ここから2字下げ]
〔訳註[#「註」は底本では欠落]1〕『自発的である限りにおいて』なる句は第3版より現る。
〔訳註2〕この一文は第二版では次の如くである、――
『植物及び動物は、明かに、その子孫の将来の養育については何の疑問も有たない。従って彼らの不定限の増加に対する妨げは、すべて積極的である。』
〔訳註3〕この個所以下と次のパラグラフとは、1st ed., p. 28. からの書き写しである。
[#ここで字下げ終わり]
かかる考慮が払われればこそ、あらゆる文明諸国の多数のものは、一人の婦人に愛着するという自然の命に服さずにいるように思われるし、また確かに服さずにいるのである(訳註)。
[#ここから2字下げ]
〔訳註〕第一版ではこれに続いて次の一文があったのであるが、第二版以下ではこれを削除し、その代りとしてこれ以下の記述が現れたのである。
『そしてこの抑制は、絶対的にではないとしても、ほとんど必然的に、罪悪を生み出す。しかしすべての社会では、最も罪悪の多い社会ですら、道徳的な結合に向う傾向は非常に強く、従って人口の増加に向う不断の努力がある訳である。この不断の努力は、同じく不断に、社会の下層階級を困窮に陥らしめ、その境遇の何らかの永久的大改善を妨げる傾向があるのである。』
[#ここで字下げ終わり]
もしこの抑制が罪悪を生み出さないならば(訳註)、これは疑いもなく人口原理から生じ得る最小の害悪である。強力な自然的性向に対する抑制たることを考えれば、ある程度の一時的不幸をもたらすことは認めなければならぬが、しかし人口に対する他の妨げのいずれから生ずる害悪と比べても明かに軽微な不幸であり、そして道徳的因子の不断の職務たる永久的満足のための一時的満足の犠牲という、その外にも数多い場合と同一性質のものに過ぎない。
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〔訳註〕第二版ではここに次の挿入句が入る、――
『これは多くの場合において事実であり、また中流及び上流の婦人の間では極めて一般的なことであるが、』
なおこのパラグラフの最後の『そして道徳的因子の……』以下は第三版より現る。
その他第三版以下で用語上の修正が若干ある。
[#ここで字下げ終わり]
この抑制が罪悪を生み出す時には、これに伴う害悪は余りにも顕著である。子供の出生を妨げるほどの乱交は最も明かに人性の尊厳を低下するように思われる。それは必ずや男子に影響を与えるが、それが女性の人格を堕落せしめ、その一切の愛らしい女らしい特性を破壊する傾向よりも明かなものは、他にあり得ない。これに加うるに、あらゆる大都市に溢れている、かの不幸な女性のそれをもってするならば、おそらく他の人生のいかなる部門よりも大きな本当の惨情と多大の窮乏とが見られるということになる。
性に関する道徳の一般的腐敗が一切の社会階級に瀰漫する時には、その結果は必然的に、家庭的幸福の源泉を害し、夫婦と親子の愛情を弱め、父母が一緒に子供を世話し教育する努力と熱意とを減少しなければならぬ、――かかる結果たるや必ず社会の一般的幸福及び道義の決定的減少を伴うものであり、特に私通を行うため
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