常に愉快であった。私は彼等が提供している、人を魅了するような光景に興奮と興味とを覚えた。私はこのような幸福な改良を熱心に希望している。しかしその途上には大きなしかも私の考えでは打克ち得ない困難があると思う。この困難を説明するのが私の今の目的であるが、しかし同時に私はこれをもって、革進を擁護するものを打倒する理由だといって歓喜しているものでは決してなく、この困難が完全に排除されるほど私にとって愉快のことはないということを、ここに宣明しておく次第である。
『私が述べようとする最も重要な議論は確かに新奇なものではない。その基礎たる原理は一部分はヒュウムが述べた所であり、またアダム・スミス博士は更に広くこれを述べている。ウォレイス氏もこれを述べ今の問題に適用しているが、もっともそれに十分の重きを置いて説いてはいない。そしておそらくこれは私の知らない多数の論者が述べていることであろう。従ってもしこれが正当十分に反駁されていたのであるならば、私はこれを今まで私が見たものとはやや異った見地で論じようとは思うが、それにしてもこれをもう一度述べる気にはならなかったことであろう。
『人類の可完全化性を弁護する人々がこのことを何故に無視するかは容易には説明がつかない。私はゴドウィンやコンドルセエの如き人々の才能を疑うことは出来ない。私は彼らの公正を疑おうとは思わない。私の見る所ではこの困難は打克ち得ないものであるがおそらく他の人も大抵はそう思うことであろう。しかるにその才能と智力とが周知なこれ等の人々はこれにほとんど留意しようとはせず一貫した熱意と信念とをもってかかる思索の道を進めているのである。彼らは故意にかかる諸論に眼を閉じているのであると云う権利は確かに私にはない。私としてはむしろ、かかる議論が私にはいかに真であると思われて止まないとしても、かかる人々がこれを無視しているのであるからその真なることを疑うのが本当であろう。しかしこの点においては吾々は誰でも誤謬に陥るの傾向を余りにも有《も》ち過ぎていることを認めなければならない。もし私が一杯の葡萄酒がある人に何度も出されているのにその人がこれに見向きもしないのを見るならば、私はその人が盲目であるか無作法な人だと考える気になるに違いない。しかしもっと正しい理論は、私の眼がどうかしていたのであり、出されたものは葡萄酒ではなかったというこ
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