[謀を進めさえすればよいとしているか、または乱暴な気違いの狂熱家であってその馬鹿々々しい思索や飛んでもない背理は理性ある何人もそれに注意を払う必要のないものである、と考えがちである。
『人間と社会との可完全化性を擁護する者は、現存制度の防衛者をこれ以上の軽蔑をもって応酬している。すなわちこれに烙印するに最も惨めな狭隘な偏見の奴隷をもってし、またただ自分がそれにより利益を得るので市民社会の弊害を防衛するものなりとしている。更にまたこれを劃くに利益のために悟性を売買するの徒なりとし、またその精神力は偉大にして高尚なるものはいずれもこれを把握する力なく、身の前五|碼《ヤード》以上を見る明なく、従って叡智に富む人類の恩人の見解を取容れることは全然出来ないものとしている。
『かくてこの敵対の中にあって真理の大道は苦難せざるを得ない。この問題を論ずる両方面にはいずれも真によい議論があるのだけれども、それは正当の力を発揮するを許されないでいる。双方は自説を執って、反対側の者が述べる所を注意して自説を訂正改善しようとはしない。
『現存秩序を擁護する者は一切の政治的思弁を概括的に否としている。彼は退いて社会の可完全化性推論の論拠を検討することすらしないであろう。いわんやその誤りを公平に指摘するの労を採るが如きことはなかろう。
『思弁的理論家もまた同じく真理の大道を犯している。彼はもっと幸福な社会状態の有様を最も魅惑的に描き上げてこれのみに眼を止めて、一切の現存制度を口を極めて罵倒して喜んでおり、その才能を用いて弊害を除くべき最良最安全の方法を考えることなく、また理論上ですら完全へと向う人間の進歩を脅かす恐るべき障害に気づいているようにも思えない。
『正しい理論は常に実験によって確証されるというのは学問上認められた真理である。しかし実地の上では最も知識が広くかつ鋭い人にもほとんど予見し得ないような多くの摩擦や多数の微細な事情が起るので、経験に照してもなお正しかったものでなければいかなる理論も大抵の問題について正しいものとは云い得ない。従って経験に照してみない理論は、それに対する反対論をすべて念入りに考察し、これを十分にかつ首尾一貫して反駁してしまうまでは、おそらくそうであろうということは出来ず、いわんや正しいとすることは出来ない。
『私は人間と社会との可完全化性を論じたものを二三読んで
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