主義論、産児調節論として大きな実践的結果を挙げることとなるのである。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Francis D. Longe ; A Refutation of the Wage−Fund Theory etc. London 1866.
William Thomas Thornton ; On Labour, Its wrongful Claims and rightful Dues etc. (2nd ed.) London 1870.
J. S. Mill ; Thornton on Labour and its Claims. Fortnightly Review, for May, 1869.
[#ここで字下げ終わり]
俗流化常識化された労賃基金説の宣伝用特別版の作者は、一八七七年に設立された『マルサス主義連盟』に集まったもの、なかんずくC・R・ドライスデイル及びアンニ・ベサント夫人である。彼らはこの国際的組織に拠って、反社会主義と産児調節の宣伝のために倦むことを知らぬ活動を続けた。そしてそのために、多数の集会や講演会を催し、各種の印刷物を無数に印刷配付し、社会主義者と果敢執拗な闘争を行い、また法廷事件を利用してその勢力を増大することを忘れなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] 『連盟』の出版物中で最も有名なのは、その機関誌 The Malthusian 及びパンフレット Annie Besant, The Law of Population etc. であり、また法廷事件として最も有名なものは "Fruits of Philosophy" case 及び Dr. Allbutt case. である。
[#ここで字下げ終わり]
マルサス説は再転してその第三期に入る。それはすなわち第二十世紀におけるマルサス主義であり、または帝国主義時代におけるそれである。
第二十世紀は恐慌と窮乏の時代であり、侵略的戦争の時代である。それはかくて『持てる国と持たざる国』の理論を作り上げ、過剰人口の圧迫による侵略戦争の合理化を試み、戦争準備のために労働運動圧伏のために新装の労賃基金説を発明する。それは今日の吾々としては詳細に縷説《るせつ》する必要がないほど生々しい事実である。ここではただ、その理論的代表者として例えばルウドウィヒ・ミイゼス1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、実践的代表者として第二次大戦終了に至るまでの日・独・伊の政策の如きを、挙げるだけで十分であろう。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Ludwig Mises ; Ursachen der Wirtschaftskrise. 1931.
[#ここで字下げ終わり]
次に、マルサス人口理論の否定的批判に至っては真に無数に存在すると云い得るように思われる。けだし上述の如くに、マルサス以後の経済学または社会思想に関する著書にしてこれに触れぬものはほとんどないと云っても差支えなく、しかもそれは一言なりとも批評的な言辞を弄しないものはまずないからである。
しかしながら、よく考えてみると、それに対する否定的批判は実は思ったほど多くは存在しないのであることがわかる。けだし否定的批判が真に否定的批判であり得るのは、問題の論者が単にこれを否定せんとする意図を有ったというだけでは足りないのであって、真にその批判がこの否定を全面的にまたは部分的に行ったという事実によるのであるからである。
そもそもマルサス人口理論における根本的致命的誤謬は二つの点にある。その第一は、いわゆる人口原理なるものを樹立するに当って採用されている孤立化という方法であり、その第二はかかる普遍的自然的原理が直ちにもって歴史的人類に対しその特殊な段階に関係なく無条件に適用され得ると考える点にある。そして真の否定的批判と称せらるべきものはこれらの点に関して行われた批判のみに限られるのである。
まず第一の点から見るならば、マルサスにおける人口はそれ自身としての人口であり、また食物はそれ自身としての食物である。それらは絶対化され孤立化されている。しかし実は、食物を食う人口なるものも、これを食う人口に対しては食物である。例えば鰯はそれ自身の食物を有ちながら同時にそれを食うものに対しては食物である。しかるにマルサスにあっては、鰯の人口は鰯の人口であって鰯たる食物となることのないものである。実は生物のある種はマルサスにおけるが如くにそれ自身として存在するものではなく、自然界における密接不可離の相互関連と複雑多様な交互作用の中ではじめて自己自身たることを得るのである。従ってはじめから個別化された種そのものはあり得ない。反対に、存在するものは全生物界における存在の生産及び再生産であり、全体の種における総連関である。むしろ特定の種は、かかる総連関の中においてのみ特定の種であり得るに過ぎぬ。かくて探究は当然に全体から出発しなければならぬ。そしてここに、個別化され絶対化された部分から出発するマルサス人口理論の根本的誤謬が存在するのである。
孤立化された部分ではなく、全体から出発するならば、全自然界における人口と食物とは一つの均衡を形成している。すなわち全自然界における生命は、全体としては、食うものと食われるものとに分たるべきであって、この二つの均衡がない限り生命の持続は不可能である。もとよりこの均衡は内的及び外的の原因によって絶えず破壊される。しかしこの均衡破壊の運動と同時に、均衡再建の、または新らしい均衡形成の、反作用が働く。従ってここに云う食うものと食われるものとの均衡は、一つの動的均衡であるということになる。そして特定の種の増殖の秩序は、全体としてのこの動的均衡の中においてかつこれに対してのみ決定されるのである。
例えば鰯をとろう。マルサスによれば、鰯はその食物以上に増殖するので、過剰のものは他の餌食になる。しかし全体的観察によれば、鰯は過剰に増殖するのではなく、その一部は残存し一部は餌食となることが、全生物界の均衡調和なのである。そしてこの均衡がくずれ、鰯が食われ過ぎる事態が新たに生ずるならば、かかる事態は新らしい一つの均衡の完成によって落着くことになる。またマルサスによれば、松の木が無数の花粉を飛ばし多数の種子を散らすのは、その増加力がより[#「より」に傍点]大である証拠である。しかし全体的観察によるならば、かくも無数の花粉を飛ばしかくも多数の種子を散らさなければその種の維持が出来ぬほど松の増殖の可能性は限られているのである。
したがって、たとえ文字の上では、マルサスとダアウィンは同じことを云っているように見えるとはいえ、実はマルサスの場合は、この個別化から社会の貧困へと論断して行く独断論なのであり、ダアウィンの場合は、一つの動的均衡、すなわち均衡の破壊と再建の中における、特定の種の、及び特定の種の間の、闘争と淘汰とに関する、科学的理論なのである。
この分野に関するマルサス人口理論の否定的批判に部分的または全面的に成功せるものとしては、マイクル・トマス・サドラア、トマス・ダブルデイ、ヘンリ・チャアルズ・ケアリ、ハアバアト・スペンサア、及び一連の唯物論的弁証法論者を挙げることが出来るであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Michael Thomas Sadler ; The Law of Population : etc. London 1830.
Thomas Doubleday ; The true Law of Population etc. London 1841.
Henry Charles Carey ; Principles of Social Science. Philadelphia 1858−1859.
Herbert Spencer ; A System of Synthetic Philosophy. Vol. III. : The Principles of Biology. Vol. II. N. Y. 1884.
Friedrich Engels ; Dialektik und Natur, Marx−Engels Archiv, II.
Karl Kautsky ; Vermehrung und Entwicklung in Natur und Gesellschaft. K. III. Do. ; 〔Malthusianismus und Sozialismus, I. Das abstrakte Bevo:lkerungsgesetz, Neue Zeit, 29 Jhrg., I. Do. ; Materialistische Geschichtsauffassung, I. Bd.〕
[#ここで字下げ終わり]
次にその第二の点、すなわち自然法則の社会への直訳的適用について云えば、これまたマルサスの致命的誤謬の一つをなすものである。云うまでもなく社会もまた自然である。しかしながら、社会は社会たる限りにおいて、それ自身自然ではないから、同時に自然との対立物であり、従って自然界とは相容れぬ特殊の歴史的法則の支配するところとなっている。しかもこの社会は、その経済の発展程度に応じて、当該時に特殊なる生産方法の上に立つのであり、従ってその各々における歴史的法則は、形式的規定として以外には共通性を有たぬものである。たとえば封建社会に特殊なる歴史的法則は、資本制社会とは何らの関係をも有ち得ない、等。かくて資本制社会における労働者階級の労賃現象の説明は、これを超越的な自然法則に求むべきではなく、または社会一般に通ずる形式的法則に求むべきでもなく、実に資本制社会に特有な資本の法則の中に求めらるべきものである。
かかる線に沿ってのマルサス批判は、まずジョン・ウェイランド、アーチボオルド・アリスン、ジョオジ・エンサア、シモンド・ド・シスモンディ等を通って発展して来たのであるが、それは終に総括的最終的にカアル・マルクスによってその完成点に達したのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] John Weyland ; The Principles of Population and Production, etc. London 1816.
Archibald Alison ; The Principles of Population, etc. Edinburgh & London 1840.
George Ensor ; An Inquiry concerning the Population of Nations : etc. London 1818.
Simonde de Sismondi ; Nouveaux Principes d'Economie Politique, etc. 1819.
〔Karl Marx ; Das Kapital. I. Bd. Do. ; Zur Kritik der Politischen O:konomie, Vorwort.〕
[#ここで字下げ終わり]
否定的批判はかくの如くして発展し完成したのであるが、しかしながらこのことは、社会的存在物としてのマルサス人口論が克服されたことを意味するものでは決してない。それが色食二欲という極めて常識的な根拠に立つ限り、大衆の無批判的受容を得ることは極めて容易であり、しかもそれが新装の労賃基金説の形をとる限り、資本制社会の存続する間は、社会的には決して克服せられ得ない、と云わなければならぬ。
かくて今日マルサス『人口論』を研究することは、なかんずくその各版に現れた思想の変化を辿ることは、それが一つの階
前へ
次へ
全10ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
マルサス トマス・ロバート の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング