ヘ後の方を肯定することによってこの問題に答えんとしたのである。
マルサスの論述の仕方において極めて特徴的なことは、それが一種の唯物論的色彩を非常に濃くもっていることである。このことは、彼が繰返して、経験の重視を強調し、単なる臆測を排撃していることから、容易に知ることが出来る。実は彼れのこの卑俗な一種の唯物論が、空想的思弁的なゴドウィン、コンドルセエ流の思想に対して、一つの大きな強味と見えたであろうことは、容易に想像し得るところである。
すなわち彼は本来の問題に立入るに先立ってまずその基礎理論を展開する。まず食物が人間の生存に必要であるということ、及び両性間の情欲は必然的でありかつほとんどその現状に止まるであろうということは、何らの証明を必要としないこと、すなわち『公準』とせられ得よう。そこでひるがえって見るに、人口増加力は、人口を支持すべき生活資料の増加力よりも、不定限により[#「より」に傍点]大である。しかるに人間の生存には食物が必要なのであるから、この不等の二つの力の結果は勢い平等に保たれなければならず、換言すれば人口増加力[#「増加力」に傍点]はいかに大であろうとも、現実の人口増加[#「増加」に傍点]は生活資料の増加の範囲に限られてしまうこととなる。この関係はしかし人類のみに限られたことではなく、一切の生物界に見られるところである。そしてこの不等の二つの力の結果が平等ならしめられざるを得ないことの結果として、動植物界においては種子の濫費や疾病や早死が起り、人類においては窮乏及び罪悪が生ずる。すなわち窮乏及び罪悪は人口に対する『妨げ』であり、これあるによって人口は生活資料と均衡を維持し得るのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Malthus, Essay on Population, 1st ed., ch. I.
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しからば、フランス革命が暗示すると考えられている社会の一般的永続的改善は、この事実によって完全に否定されなければならない。ゴドウィンの想像するような社会はこれあるによって初めから不可能なのであるが、今仮りにこれが成立したとしても、一方においては家族を支持する上での危惧が全く消滅するために人口増加は著しくなり、他方においては自利の発条が除かれるので、生活資料の生産は減少するので、まもなく人口と生活資料との均衡は破壊され、三十年も経たない内にゴドウィンの社会は全滅してしまうことであろう。ゴドウィンの説はかくて、必然の法則から発する罪悪及び窮乏を社会制度に由来するものと考えた点にある、と云わなければならない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., ch. X.
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さればまた当然に単なる人口増加の擁護は誤りでなければならない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。それと同時に、食物を増加せしめずに単に人口のみを増加せしめ、かつ社会の最良部分とは称し得ないものに食物を強制的に分与しようとする貧民法もまた、誤れる法律であると云わなければならない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., ch. VII.
2)[#「2)」は縦中横] Ibid., ch. V.
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これと共にまた、前述の人口は過去と現在とではいずれが多いかという人口論争についても、そのいずれが正しいかは容易に決定せられ得る。それは単に出生数または死亡数のみを取扱っていたのでは明かにされ得ない。人口は生活資料によって終局的並びに総括的に規定されるのであるから、この生活資料の増減に着眼すれば、人口の増加は同時に明かにされるであろう。そして生活資料の増加を考えるならば、人口が減退して来ているとは決して云い得ないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., ch. IV.
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さてひるがえって考えるに、人口にかくの如き秩序があるとすれば、それは一切の改善の努力を無に帰せしめるものであり、従ってこれは人間に絶望を教えるものではないであろうか。しかしこれは事実ではない。反対にこのことはかえって人間を覚醒せしめるものである。怠惰なものは生存し得ず勤勉と努力に対してのみ報いが与えられるということは、かえって人に大きな希望を与える。しかも必要は発明の母であり、従ってこれによって人類はますます進歩して行くこととなるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., chs. XIIX & XIX.
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以上の如きものが『人口論』第一版の主たる主張であるが、その基礎理論たる人口理論の中で最も中心的な命題は、人口増加力は食物増加力よりも『不定限に』より[#「より」に傍点]大である、ということである。ここに『不定限に』とは、マルサスによれば、限度は存在することは確実であるけれども、しかしこれを明瞭に指示し得ない、という意味である。マルサスは人口及び食物の増加力を示すに当って有名な幾何級数及び算術級数の語を用いたけれども、それは直ちに両増加力を明確に限定するものと解してはならない。むしろ彼においては両増加力は幾何の大きさを有つかを明確に云い得ないのであり、従って両者を明確に比較することは不可能なのである。しかしこれらを、事実しかる大きさから離して具体的に云い現せば、人口は少くとも[#「少くとも」に傍点]二十五年を一期として倍加し、食物はせいぜいの所[#「せいぜいの所」に傍点]二十五年を一期として同量附加をなす如き力しか有たない。しかしこの二つの級数は、事実しかる大きさからは離されているのであり、両者の真の大きさは従って不明である。すなわち人口増加力は食物増加力よりも大であるということだけはわかるが、その真実の開きは不定限であるというのである。――これが彼れの根本命題の真の意義である。さて、しかるに食物は人間の生存に必要なのであった。しからば結論は当然に、人口は必然的に生活資料によって制限される、ということにならざるを得ない。かかるものが彼れの基礎理論なのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., chs. I, II & IX.
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以上の基礎理論は生物界一般につき自然法則として樹立されたものであるが、彼は次に一転して、この理論によって社会の問題を解こうとし、平等主義や貧民法や人口論争の問題を論ずるに至ったことは、右に述べた如くである。しかし彼は社会を説くに当って、当時の時事問題のみを論じたのではない。彼は歴史を論じ、人類はまず狩猟状態から始まり、次いで牧畜状態に進み、最後に農牧併行状態に進むものと考え、これらの時代における重要な歴史事実を以上の如き基礎理論によって解釈せんとしているのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid., chs. II & III.
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かくの如き内容を有つ『人口論』の第一版はすさまじい反響を喚び起した。ゴドウィン等の平等主義はまもなくこれによって圧倒されてしまった。『英国におけるフランス革命』は、『人口論』第一版と、ピット政府の弾圧とによって、全く克服されてしまった。マルサスの匿名はまもなく破られた。そして彼れの名は一躍論壇の寵児となったのである。
かくてマルサス『人口論』は一世の名著と称せられるに至り、それは連綿として今日にまで至っているのであるが、この名声の根拠が何に帰せらるべきかは余りにも明かであると云わなければならない。
そこで彼れの思想の理論的背景を振返ってみるに、まずこれをヨオロッパ全体の問題として見る時は、そこには一方では人口をもって富なりとしまたは富に達する唯一または最大の手段なりとする見解(マアカンティリズム及びカメラリスティクの如き)が広く行われており、国家の政策が人口増加を擁護すべきはむしろ自明の理であるとされていた。しかるにまた他方では人口は単に国の繁栄の結果であり、かつ徴標であるにすぎず、従って単に人口を増加せしめんことを企図するよりも、まずその基礎たる国の物質的一般的幸福を企図する必要があると説くものが少なからず存在した。しかも彼らの中の多くによれば、人口増加力は極めて大なるものであり、この人口を支持すべき資料は、これと同一の速度をもっては増加し得ない故に、そこに必然的に戦争や流行病や不節制や不道徳がかかる優勢な力の実現を阻止するために現れることとなる、と説いていた。しかもある者は、この事実をもって社会の一般的永続的改善を不可能ならしめる要因をなすものである、と考えてすらいた。かかる時に一七八九年にフランス革命は勃発した。それは貧困と悪辱、不正義と不公正を一挙にして絶滅するものであるかの如く見えた。社会の一般的永続的改善はこの日よりその緒についたかの如く見えた。さればここに政治的社会的のまた思想的の一大混乱時代が出現したのである。
更にマルサスの理論的背景を特殊的に英国について見るに、常識的世論が人口増加の擁護にあったことはヨオロッパ一般と同一であるが、マルサス的思想においてもまた欠けるところはなかった。なかんずくジェイムズ・スチュワアトはこれをいわゆる学問的に1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、ジョウジフ・タウンスエンドはこれを試論的に2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、論じて余すところがなかった。しかるにフランスにおいてその端を開いた3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]人口減少の危惧は、英国に渡って極めて広汎にわたる人口論争を惹き起しており4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、またフランス革命勃発後はいわゆる『英国におけるフランス革命』と呼ばれる英国史上空前のの社会的混乱が経験されていた。この後の問題は特に緊急なものであった。従って『英国におけるフランス革命』に対する鎮静剤たる理論は一つの必然であり、かつそれがマルサス的内容を有することは可能であったのである。
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1)[#「1)」は縦中横] 彼は人口と食物との両増加力の関係をその全経済理論の出発点としている。James Steuart ; An Inquiry into the Principles of Political Oeconomy : etc. London 1767.
2)[#「2)」は縦中横] 彼がフアン・フェルナンデスの山羊と犬との例を引いて貧困を論じたことは、極めて有名である。Joseph Townsend ; A Dissertation on the Poor Laws. London 1786. Do. ; A Journey through Spain etc. 2nd ed., London 1792.
3)[#「3)」は縦中横] 〔Charles de Secondat, Baron de La Bre`de et de Montesquieu ; Lettres Persanes. 1721. Do. ; De l'Esprit des Lois. 1748.〕
4)[#「4)」は縦中横] 英国においてはこの論争は二つの形で行われた。その一は英国自身に関するものであり、人口減退を主張するものは前掲のリチャアド・プライス、その反対者は、Arthur Young (A six Months Tour through the North of England : etc. Vol. IV. 1771. Do. ; The Farmer's
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