最も強い障害があると考えられるのである。著者は、この興味ある問題を論ずるに当って、著者が動かされているのは真理の愛好の念のみであり、ある特定の人々や意見に対抗せんとする偏見ではないことが、わかってもらいたいと思う。著者は、社会の将来の改善に関する若干の見解を、それが幻想であればよいがという気持とはおよそ遠い気持で読んでみたが、しかし、著者をして、自分の希望するものは証拠がなくとも信じ、または好ましくないものは証拠があっても賛成を拒否し得せしめるほどの、悟性の支配力を得はしなかったということを、告白せざるを得ない。
 著者の人生観は陰鬱な色をもっている。しかし著者は、かかる暗い色を画いたのはそれが絵画の真実であると確信するからなのであり、色眼鏡や持ち前の気まぐれによるものではないことを、意識している。著者が最後の二章で素描した精神説は、人生の多くの害悪の存在に対する説明として、自ら満足に思うものである。しかしそれが他の者にも同じ効果を有つか否かは、これを読者の判断に委ねなければならない。
 もしも著者が、社会の改善の途上に横たわる主たる困難と考えるところのものに、より[#「より」に傍点]有能な人々の注意を惹くことが出来、その結果として、この困難が、たとえ理論上だけでも、除去されたことを見得たならば、著者は喜んで現に懐いている意見を撤囘し、そしてその誤謬を知って歓喜するであろう。
   一七九八年六月七日
[#改ページ]

       第二版序言(訳註――第二―六版の全部に掲載)

 私が一七九八年に著した『人口原理論』は、序言に断っておいたように、ゴドウィン氏の『研究者』の中にある一論に示唆されて出来たものである。それは、時興にうながされて書かれたものであり、当時辺鄙なところにいて手に入れ得た少数の資料によって書かれたものである。私が該書の主論点をなす原理を演繹して来た著作の著者は、ヒュウム、ウォレイス、アダム・スミス及びプライス博士(訳註)だけであり、そして私の目的は、これを適用し、そして、当時公衆の注意をかなり刺戟していた人類及び社会の可完全化性に関する諸々の推論が本当かどうかを検討してみるにあった。
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〔訳註〕これはおそらく次を指すものであろう。
David Hume, Of the Populousness of a
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