を一転機として店の売上げがたちまち三、四割方の増加となったのには驚かされた。後で耳に入ったところによれば、多くの店が幾割かの値上げをした際に、私の方が平常よりも勉強したことが特に目立ち、中村屋に好感を持って下さる方がふえたのだということで、私はまたここに天祐の上の天祐を感じ、罹災してついに立てなくなった人も多い中に何というもったいないことであろうと思った。
それゆえこの大震災は、中村屋にとっては重々記念すべきであって、毎年九月一日には震災記念販売をし、当時の店員一同の働きをしのび、その三品をそのままの形で出して原価販売をする慣例となった。すなわち震災記念販売は中村屋の年中行事の一つとなり、お得意でも当時を思い出して、当日は特にわざわざ店を訪ねて下さる方が多く、それらのお客様としても記念販売の三品は、一種異なる愛着をもって年々変りなく迎えられている次第である。
ウルスス氏と中村屋牧場
ある日、西郷隆盛然たる一壮夫が私を訪ねて来た。大正十五年春のことである。
『私は北海道のトラピスト修道院に教頭をつとめて居りましたが、教義上のことで羅馬《ローマ》法王と争い、破門されて本日上
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