々の繁忙の間に犠牲者を出さぬよう出来得る限り生活の安全を計るべきであるし、店が発展すればそれにも増して経営費率が上がり、利益はかえって少なくなる有様であった。したがって純益は三万円どころか、その税金の六千円だけもむずかしい実状であった。
そしてこれはひとり中村屋に限ったことではなく、世間の健実な商店の経験するところであるが、税務官にはこの理由が理解しにくいと見え、店が発展して来ればどこでも必ずこの問題に悩まされるのであった。
中村屋はついに窮余の末、十二年四月急に株式会社組織に改めた。その結果純所得が約五分の一の六千三百円に決定され、税金は、私の個人所得をも加えて千五百円となった。すなわち中村屋は個人商店を株式会社に改めて、初めて税金が負担に堪え得る程度のところに落着いたのであった。当時税務署の課税方針には、個人商店に対するのと、株式会社や百貨店に対するのと、じつにこれだけの相違があった。しかしこの不合理も近年は大いに改まり、会社組織と個人店の間に著しき相違を見ざるに至った。
さて株式会社中村屋は資本金十五万円とし、全株の半分を妻良の名義にし、残りの半分をば私と婿のボース、伜や娘
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