十度という試みをした結果、とうとう松の実カステラをつくり出した。
苦心の甲斐あってこれが大いに世に迎えられ、売行きが増加するにつけて、松の実の買付けも多くなったので産地でも相場が上がり、このことによってまた半島の同胞に喜んでもらうことが出来たのは、私にとってまことに松の実の不老長寿以上の喜びであった。
個人商店を株式会社に改む
大正十二年中村屋の売上高は一ヶ年二十万円に達した。これに対して税務署は、純所得をこの売上高の一割五分として三万円に査定するということであったが、そうすると税金だけで六千円近くになる。
税務署のかかる追求には、中村屋は本郷以来相当悩まされ、どれほど折衝したか知れないが、ついにここに至って、査定通りの税金を払ったのでは立ち行かぬということになった。
中村屋はよく売れるには相違ないが、至って地味な経営で安全第一主義であるから、利益率は売上げの増加に反比例してかえって減じているほどであった。むろん私が言う安全第一は消極的の意味ではないが、優良な品を売ることが店の眼目であれば、製造に関する諸設備も絶えず改善されねばならず、店員の待遇も漸次引き上げて、日
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