人では得意先をまわり切れぬという盛況となった。すなわち狩野では出来ないことが浅野では出来たのである。これを見ても適材を適所におくということがいかに大切であるか、人間に向き不向きのあるのも免れ難いこととして、人を用いる場合にはよくよく注意せねばならぬことである。再び「黙移」を引用。
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――その頃大久保の新開地は水野葉舟、吉江孤雁、国木田独歩――間もなく茅ヶ崎南湖院に入院――、戸川秋骨先生、それに島崎藤村先生、島崎先生は三人のお子を失われてから新片町に移転されましたが、とにかくそういう方々のよりあいで一時は文士村と称されたものでありまして、また淀橋の櫟林の聖者としてお名のひびいた内村鑑三先生、その隣りのレバノン教会牧師福田錠二氏などが、その行商の最初の得意となって御後援下されて、この文士村の知名の方々へも御用聞きに伺いまして、それぞれお引立てに預かるようになりました。初めは一週に一度ずつまわることにしておりました。この救世軍の人がじつによく出来た人で、頭のてっぺんから足の先まで忠実に充ち溢れている、というような、また時間を最も正確に守り、お約束の時間には必ず配達し
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