むを得ず行われるらしいこの競争によって無益に失われる莫大な費用を製品の向上に向けられたなら、販売者にとっても購買者にとってもどれほど幸いであろう。私は自分が正価販売をして、確実な商法の喜びを知るとともに、森永明治の二大会社初め他の同業者にも切にこれを勧めるものである。
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 新宿中村屋として

    新宿へ進出の前後と土地の変遷

 本郷中村屋としての我々の第五年はこうしていよいよ順調に進み、よそ目には申し分なく見えたかも知れないのであるが、じつは非常な苦境に立たされていた。その事情は私が新たに語るまでもなく、妻がその著「黙移」の中で詳しく述べているから、ここにはそれを引くことにする。
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 日露戦争の三十七、八年までは、中村屋はまず順調に進んでおりました。どうせパン屋のことですから華々しい発展は望まれませんが、静止の状態でいたことは一月もなく、売行きはいつも上向いておりました。それが小口商いのことですから、店頭の出入りは人目に立ち『あの店は売れるぞ』というふうに印象されたと見えまして、税務署の追求が止まず、ある時署員が主人の留守に調べに来ました。私はそ
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