堪えず、幸いいま自分には暇があることでもあり、少しでも孤児院のために義金を集めることが出来たらと考えて、まず東北仙台に向かった。
 何故仙台に行ったかというと、仙台にはその頃東北学院長として、基督教界の偉人押川方義氏が居られた。私は早稲田在学時代、牛込教会に通うて基督教を聴き、大いにその感化を受けて、信州に帰郷後は伝道をも助け、禁酒禁煙の運動をも行っていたほどで、まだ面識はなかったけれど、押川先生には大いに信頼するところがあった。
 幸いにも私が仙台に入った日は日曜日で、ちょうど仙台教会に押川先生の説教があった。私は汽車から降りたままで教会に行き、先生の説教の後を受けて、孤児院の窮状を会衆に訴えた。どんなふうに話したかおぼえていないが、反響は意外に大きかった。大口の寄付の申し出もあり、相当の額が集まったので、私は孤児院のためじつに嬉しく、自分の誠意の容れられたことを深く感謝した。
 この寄付金募集が機会となって、その後押川先生を初めその教会の人々と親しく交わるようになり、やがてこれが旧仙台藩士の娘、星良を妻に迎える縁となったのである。良は、彼女がその著「黙移」の中で言っている通り、押川
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