ようになった。
 当時栃木県那須野ヶ原に、本郷定次郎氏夫妻の経営する孤児院があった。これは明治二十四年の濃尾大震災に孤児となった子供を収容するために、同氏が全財産を投じ一身をなげうって設立されたものであった。私はかねてこの事業に深く同感していたことではあり、ちょうどそこで養蚕をやると聞いたので、自分の製造した蚕種を寄贈し、どうかよい成績をあげてくれるようにと願っていると、やがて本郷氏がはるばると信州に訪ねて来られて、私の贈った蚕種が非常な好成績をもたらしたことを報告された。私は氏の丁重な訪問を感謝し、かたがた一度氏の仕事を見たいと思ったので、その冬の閑散期を利用し、那須野ヶ原を訪ねて氏の孤児院を見舞った。
 ところがここで私は意外な光景を見た。当時その孤児院の仕事は相当に聞えていて、世間の同情も厚いことであるから、院児たちは氏の庇護の下に不自由なく暮しているであろうと思いのほか、食べたい盛りの子供たちに薄いお粥が僅かに二杯ずつより与えられないという窮状であった。子供たちが本郷夫妻に取りすがって『も少し頂戴よ』『頂戴よ』と哀願するのに、氏はそれを与えることが出来ない。私はこれを黙視するに
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