の費用のかかる家もある。かように事情の異なるものに同じ給与ではかえって不公平となるゆえ、子供のある者には子供手当を付けること。七十歳以上の老人のある場合は老人手当を出すこと。
四、店の利害と働く者の利害はすべて一致すべきもので、営業忙しく利益多き時は、その労苦に酬い、必ず利益を分配すること。
五、老後の心配を少なくするため、十年以上の勤続者には店費にて保険を付けること。
六、店は毎日同じような仕事の連続であるから、その慰安を図り娯楽を与え、またその機会に情操を養い、煩雑な日々の生活の中にも潤いのあるよう、観劇、旅行、会食等、すべて上品な趣味のものを選ぶこと。
七、常識を養い、教養を深めるため、修養勉学の機会をつくること。
八、主人および一族中いわゆる重役的存在として店務に参加するものの、店より受くる俸給は店の幹部級の者より薄給なるべきこと。
[#ここで字下げ終わり]
 ここでは説明するためにこういう形になったが、我々の店に何もこんな箇条書が出来ているわけではない。規律はあっても店則がないのと同様、これは自ずと決定した我々の思想であり、また実行であるにすぎない。しかしまずこの条々についても少し実際的に言って見ると、
 子供手当及び老人手当は現在のところ一人につき四円ずつを出すことにしている。
 店の繁忙に伴う労苦に対する利益分配は、総売上げの三分と、一日七千二百円(売上げの増減に従い上下す)以上の売上げのあった日の二分、年度末の決算に当って純益の一割を全員に分配する。
 老後の用意については、早大総長田中穂積博士が、私立学校の教授に恩給の制度のないのを遺憾に思い、数年前から十年以上教務に服した先生方に対し、校費で千円の保険を付け、二十年以上の先生には二千円の保険を付けることにしたとの話を聞き、私も店員に同様の方法を取り、すなわち十年勤続者には千円を、二十年勤続者には二千円の保険を付けることにし、早速この昭和十二年二月から実行した次第である。
 店員の慰安の催しについては、以上の方法によってまず一通り生活に不安のない程度には達しているが、まだこの給与では娯楽を求め趣味を向上させることは難かしいのであるから、特にこちらでその機会をつくり、現在年二回以上の観劇と一回の角力《すもう》見物をそれぞれ一等席で招待し、また会食は一流料理店を選び、洋食の食べ方、食卓の作法など、少年店員たちもこの機会に自然に会得するよう心がけ、春秋の遠足、夏期の鎌倉における海水浴なども、不充分ながら心がけているところである。
 なお遠く旅行して見聞をひろめ、地方地方の特産または商業の様子などを見ることは大いに必要で、我々も差支えのない限り春秋には旅行を試みることにしているので、諸君にも行ける限りは行かせたいと思い、遠くへの旅行は毎年春秋二回、古参者から順々に同行二人を一組として、十日の休暇と旅費を給し、九州あるいは北海道と、それぞれ好みの所に年々かわるがわる旅行をさせている次第である。
 次に私および一族中の者の俸給が、店員の幹部級の者より薄給であるべしとの趣意は、改めて説明するまでもなく、前にも言った通り、いわゆる重役連の労せずして高級を食《は》む不合理を憎むからである。
 かく説き来れば中村屋の給与は相当|宜《よろ》しいように見えるが、これでも製造部では製品売価の一割に足らず、販売部は売上げのおよそ六分七厘にしか当らない。これを米国百貨店の販売高の一割六分、独逸百貨店の同じく一割三分五厘に比すれば、その半額にも足らぬのである。私は店員への給与を世界の水準まで引き上ぐべきであると考える。重役だけが生活を向上して労務者の生活を改善し得ないならば、我々実業家の恥と言わねばなるまい。

    実世間を対手《あいて》とする商業道場

 愛児を中村屋に託さるる親たち、また当の少年店員諸君に対してはいうまでもなく、我々は深く責任を感じ、いかにしてその信頼に酬ゆべきかと常に種々苦心するところである。
 昔は商家に奉公し、忠実に勤めて年期を明け、その後二、三年の礼奉公すれば、主人から店ののれん[#「のれん」に傍点]を分けてもらい、しかるべき場所において一店の主となることが出来たものである。それゆえ年期中は給与もなく、粗衣粗食、朝は早く起き夜は遅く寝て、いわゆる奉公人の分に甘んじ、じつにいじらしい勤め振りをしたものであった。
 主人もまた、子飼いの者が実直に勤めて年頃になれば、店の勢力範囲以外の地を見立ててそこに支店を出してやることは、本店の信用を高むることにもなるのであったから、主人もよくこの面倒を見てくれたものであった。むろんその時分は世間の様子が今と全く異っていた。町に交通機関はなく、ちょっとした用事にもいちいち使いを出すほかないのであったから、得意の範囲は自ずから定ま
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