れば、第一製造に要するすべての設備に莫大の資本と人手とをかけねばならない。次いで廃物の沢山出来ることは非常なものである。加うるに主人の監督が少しく弛む時は、職人共に(脳が緻密でなく、また不親切な人間が多いのであるから)経済の立たぬような品物を製造したり、あるいは出来損いを出し、あるいは性の悪い者に出遇えば原料をかすめられる恐れもあるというように、目の見えぬ損害額が多いからである。それで製造家でも、自家製造の品からは儲けが出ないで、他の製造元から取り寄せて売るところの品で、幾分の利益を得ることになっている。しかしまたこの製造家たるの実あってこそ、店の信用も高まり、他の仕入の品まで多く売れて行くものである。
またこの製造家には二様ある。一つは卸向きのもの、他は小売向きの品も製造するにあり、卸売向きのは原料低廉ならでは引き合わぬため、洋粉、砂糖等の主なる原料は粗悪なものを用いるを常となるのである。この種の製造家は店の小売というものはほとんどあてにしないで、卸専門に受売屋をせり歩くのである。次は小売向きの製造家は、我店専門が主眼であるから、最も原料を精選し、ことに入念に品を製するのである。砂糖でもその他の原料でも、卸屋よりも二等三等以上の品を用い、実質の最善最良なるものを製造する方針を採っているゆえに、小売を目的とする製造家はとうてい卸売りすることは出来ないのである。こうして社会の趨勢は日増しに贅沢に傾き、美味きが上にもうまきを希望するようになったから、数年前売行のよかった品で、今は全く売れなくなりただ僅かに名ばかりを存しているものがある。またその需用がほとんど皆無であった上等品で、今日製造の間に合わないほど売行きのよくなったものがある。あるいは親睦会、運動会、その他凶事吉事に用いられる菓子も初めは嵩があるものという御注文であったのが、今日は数がすくなくても味の佳きものをと望まれるに至ったゆえに、幾度も繰返していうが、東京で商売を試みんとする人は、如何なる種の商売でも価は高くとも、品質最良なるものを製して売るという方針でなければ成功は覚束ないのである。
時代の移り変りに伴う商売のやり方
いかなる種類の事業に利益多きか
前項においては、各種の商業のきわめて薄利なことばかりを述べたが、天下の事業がことごとく利益の少ないものではない。中には四割五割の利益のある事業もまた必ずしもないではない。しからば如何なる種類の商売が最も利益の多いものであるか。すなわち、
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第一、莫大な資本を要する事業であって、普通人のこれに対抗することの出来ない商売。
第二、専売特許的のもので他に同業者のないもの。
第三、遠隔せる交通不便の土地から輸入するもの。
第四、特に多年の練習と熟達とを要するもの。
第五、危険の伴うもの、すなわち、株式、相場、投機のもの。
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等、すべて多大の資力と非凡奇抜な大力量とを要する事業は、その利益も従って多大のものであるゆえにもしある事業を企画する人は、予め自分の力量と資本とを量り、これに準じて薄利でも比較的安全なものを選ぶか、あるいは非常な危険を冒し、困難に遇っても利多く男らしき事業をとるかを決すべきである。
名物にうまいものなし
すべて名物とは、都といわず鄙といわず、ある時代にある奇抜な人が意匠をこらし、新考案を加えて、その時代の人の嗜好によく適合したものを製造して売出したものなれば、その当時にあっては確かにうまい物に違いはなかったのである。しかしそれが四方の人に知れて一の名物として賞讃されるには、三年五年ないし十年二十年の歳月を要する。しかるに人々の嗜好は年一年変化して止まないのみならず、贅沢に傾きていっそううまきものを要求するがゆえに、すでに名物として世に謳われる頃には時勢に後ること、これは免れ難き事実である。人間にあっても、名士か元老とか大将とかいわれて、万人に尊敬される頃には、多くは時勢後れの飾り物となって、実際の仕事は無名の少壮者が担任しているのが一般である。一駄菓子や掛物をもって足れりとした時代は、すでに遠き過去となり、次に餅菓子時代が来たが、これもようよう洋菓子に圧倒されかかって来た現状である。かくの如く、人間の飲食物に対する嗜好は年々歳々高尚に趣くから、昔からの名物というその名に恋々として改良を加えなければ、終に名物にうまい物なしとの一言の下に冷笑されてしまう。
それでもし昔からの名物なるものを継続させんとするならば、社会の進歩発達に伴って品質を精選すべきはもちろん、なおこれに斬新なる趣向を加え、もってその時代の嗜好に適するように工夫せねばならぬ。
また店の飾り方や家の構造は料理屋などであるならば、客室の間取りなどにも注意をしなければならない。雁鍋、松田、平清、岡野その他の何所の「だんご」という如く、昔東京の名物であって今はあとかたもなく消えてしまった所が枚挙にいとまがない程である。青柳有義氏は、本郷の江知勝は旧の大広間を廃して、二三人づれの客のために小室を多く設けたるを以てすなわち今風のハイカラ連に持てはやされ衰微の厄を免れて繁昌をつづけたものだといわれたが、これは実に商人として最もよき参考とすべき価値ある例である。
東京の小売相場の高き理由
市街の繁栄は、いつも地代家賃の騰貴[#「騰貴」は底本では「謄貴」]を伴うもので、いわゆる土一升金一升の相場を示すに至るのであるが、ことに近来の如く、二間間口くらいの小商店でさえ、光り眩ゆきガス電燈を点し、あるいは電話を架設し、自転車を用い、中央部の大商店となれば、番頭でさえ従来の前掛を廃して、ホワイトシャツにハイカラ、という洋装に改め、床屋の職人、西洋料理店のコック、ボーイなども、コスメチックや香水の臭いをプンプンさせている。田舎者などには立派な御役人様と見えるくらいである。また店の雑作なども、最新式に建て直し、装飾も入念にしつらえる等、すべての設備に贅を尽し美を華めるという有様でなければ、すなわち東京の真ん中に割込んで立派な商店として仲間入りは出来ない。かくの如く、店が繁昌すればするほど、地代家賃を引上げられ、また種々の設備に多くの資本を入れなければならぬゆえ、勢い都会における小売相場を上げざれば、とうてい維持することが出来ないのである。ゆえに東京市中でも最も繁昌を極めている銀座は、最も小売の高き場所として世人に知られる通りである。彼のニューヨーク、桑港の如きは、普通の小売相場はことに高く、ほとんど原価の倍である由なるが、彼の地としては当然の事と思われる。
また東京市ほど小売相場の不同な所は他に類がない。同区内否同町内においてすら、甲店と乙店とは同じ品物の価に非常な差違のあることを発見する。それで高価の店も安価の店も同時多少の得意を有して、相当の収入を得つつあるは、我ら素人にはちょっと了解に苦しむところであるが、これすなわち東京は全国から各種各階級の人々の輻湊するところであって、ある区のある町はほとんど全市民が相往来するから、得意の種類は、いわゆる一遍のもの多数を占め、その範囲又極めて広きと、今一つは東京人は地方人よりも非常に多忙で気ぜわしいので、少しくらい安価の店があっても、ただ単に価が安いだけでわざわざまわり道して貴重な時間を費すことはしないからである。かつ東京人は精良品を好むがゆえに、安価品は不良品ならんと疑い、かえって高価の店に行く傾きがある。たとえば当店にては鷲印のコンデンスミルクを二十八銭で売っている。しかるに有名なるある薬店では三十四銭で売っているが、やはり相応に売れている。この辺の事情は実に地方と趣きを異にする所である。
交通機関と大商店の発達
まだ汽車電車の開通しなかった昔は、いわゆる二里に一宿とて、その要所要所に宿場を設け、その周囲近郊の人々の用務の大部分はすなわちこの小中心において便ぜられたものであるが、汽車の開通とともに、二十里以内の宿場々々は都会にのみ了せられた如く、東京市中まま宿場に等しき小中心を、一区内に少なくも一カ所以上は現存しつつある。すなわち牛込区神楽坂、糀町の糀町通り、神田の小川町、浅草の雷門、蔵前、本郷の四丁目における如く、小中心点があって、その付近は各種の商店櫛比して、あらゆる設備をなし、互いに繁栄を競いつつある。しかるに電車という交通機関開けてより、四通八達、わずか数銭を投ずれば都の片隅から片隅まで、短時間のうちに往復が出来て、遺憾なく用務を便ずることが出来る。それ最寄り最寄りの小中心に徒歩にて買物に往くよりは、電車の便を利用しても、品物が潤沢で、また最も斬新な流行物の集れる大中心へ行き、思い思いの嗜好に適合した買物をすることが出来る。ゆえに時々刻々、年一年大中心と目指さるる日本橋、京橋付近は、小中心に属する全市中の得意を吸収して、いやが上にも繁栄を来たすべき勢をなしている。すでに場末の呉服屋が三越、白木屋、松屋等に得意を割かれしは著しきものである。かくして強はますます弱を凌ぎ、大は小を併呑し、結局資本と資本の競争となるだろうと思われる。ゆえに資本の少なき者が、この間に立つにはよほど工夫を要する。
雇われる人と雇う人
学校出身者の多くは被雇人に終る
およそ実業に関係する諸学校出身者の多くは、自分である事業の経営者たらんとする者なく、卒業早々何ほどかの給金にありつこうともがくものの如し。これ他なし、なまじ卒業という肩書を得たばかりに、これに依頼してしまい、から意気地なくなるからである。彼らの資格なるものは実に彼らをして実世界に活動せしめず、かえって枯死せしむるものである。これがために彼らの出世の道はふさがれたるなり、試みに左の統計を見よ。
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高等実業学校卒業者の職業別
官吏[#「官吏」は底本では「官史」] 七
学校職員 三一七
官庁技術員 一、〇八三
民間技術員 一、七一三
銀行会社員 一七
外国政府及会社 一八
海外留学 一六五
大学院 一二八
自家営業 二八
兵役 一二八
死亡 二一七
未詳 四二一
合計 四、一八三
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すなわち自ら独立事業の経営に当る者、総出身者の百分の一にも当らないではないか。しかれども、もし彼らにして初めからこの資格などに重きをおかず、他の小僧や番頭連とともに店の掃除より使い歩き、または車をひいて配達するという下働きにも心から甘んじて従事する決心を持ち、根底から修養を仕直しするの覚悟があるならば、その人は必ず他日成功するに相違ないのである。この覚悟に実行が伴ってこそ、初めて、多年修めたところの学問に光りと価値を添えて来たり、また学問の有難味も充分に現われるというものである。そして蓄積せられた知識は経験を重ねるに従って、種々の方面に活用せられ、いわゆる一を聴いて十を知る的人物たることが出来るのである。その発達や進歩は実に迅速を極め、たちまちにして同輩を凌ぎ、群鶏の一鶴となるのは敢えて至難のことではない。しかるに惜しむらくはとかく思いを此所に至すもの甚だ少なく、卒業とともに直ぐ老成ぶったり、小成に安んじたり、慢心を増長せしめたりして、終にただ生涯給金取りとして人に雇使せらるるに至るのである。
いまこの章を草するに当って、左の話を想起する。アメリカのある大学卒業生、何々学士という名刺を持ち、雇われ口を探すべく諸所を彷徨ったが、誰一人彼を相手にするものがない。彼は一時途方に暮れたが、ついに苦しまぎれに労働者の着物に着かえて、有名な製革会社に一個の労働者として雇われんことを嘆願した。もとより会社は労働者なら歓迎するところであるから、直ちにこれに承諾を与えた。そこで彼は労働者の仲間に入っ
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