た米、味噌、野菜物を充分使っていた癖がついて、どしどし仕入れる。そして月末の勘定を払う時初めて費用の案外多くかかったのに驚くという有様である。また下宿屋となって人を置く上は、二三人でも数十人でも手のかかることは同じである。少人数だからとて点火すべき所に燈火をおかないわけにはいかない。鉄瓶の湯を切らしてはおけない。仕入をするにも多人数おけば自然出入りの商人に卸値で勉強させるけれども、小下宿屋は割合にこの仕入が高くなる。その上客に倒されることもあり、また部屋もいつもあき間の一つや二つはあることを覚悟しなければならない。これを一々計算して見れば、なかなか儲かるものではない。しからば数十人を容るべき設備の大下宿屋は必ず儲かるかといえばこれまた仕掛の仰山なだけ費用がかかって、さほどうまく儲かるものではない。建築物その他が財産であるから、自分の家屋でしかも資本も裕かなれば、大仕掛の下宿屋は小規模の下宿屋に比して利益が多い。一二の空間があっても幾十の間に数十人の客を満たしておけば、僅か三四間の備えしかない小下宿屋よりもその影響を蒙ることが少ない。その他火、油、手間等大仕掛な割合にはかからない。またこの如き設備の調った下宿屋には既して好い客筋すなわち多額の金銭を使用する贅沢屋が泊るから、よほどその辺は利益が多いのである。しかしこれとともに費用も多くかかり、また借家ならば莫大な家賃地代を払わねばならぬことを忘れてはならぬ。もっとも場所もその建築にもよるが本郷台で三階造りの建築にて客数十人を入るに足る家ならば、百円以上の家賃を要し、二階建ての三四十人くらいおける家ならば五六十円払わねばならない。それに多くの女中と番頭も必要である。また家の広大なだけに修繕費用も器物の破損、畳の表がえ等なかなか費用は沢山かかるから、都合好く営業が出来たところで、幾何の財産を残すということはほとんど至難のことである。ただ前に述べた小規模の下宿屋に比して利益が多いというに止まるのである。かく悲観的暗黒面ばかり見た時は、下宿屋は一軒も成立つものではないかとその疑問も起るかも知れないが、実際維持の出来る下宿屋はその一割に当らない。現に我々が取引している下宿屋数十軒を持っているが、我が開業以来五ヶ年ばかり、変らずに同じ人が営業をつづけている店は僅か四軒しかない。その他同じ名で営業はしても、主人が幾度か変っているのである。一年半年はなはだしいのは一二ヶ月くらいで他へ譲り渡してしまうのである。これらの人々は大概田舎から田畑を売って幾何かの金を持ち来り、ことごとくかかる不馴れの仕事のために消費し尽くして、どこへか影をかくしてしまう。実にこの下宿屋営業の急激なる変化は悲惨なものである。
 しかしながら、もし田舎出の素人がこの業を成さんと思うならば、これは妻君の内職として、家賃を働き出すくらいの望みをもってしなければならぬ。主人は給金取りか何か別に確実なる生活の道を立て、そして女中もおかず、妻君自ら客の膳の上げ下ろしをするつもりで、数人の下宿人をおくほどの家を借り、またやり方が巧みならば、それは必ず成功するであろう。如何なる[#「如何なる」は底本では「加何なる」]事業も、腕次第のもので、失敗するも成功するもその人の技術の如何にあるのであるが、まず誰にも出来そうな仕業は従って利益もまず薄いものであることを思わねばならない。

    二、文房具屋

 これまた素人の仕事としてよく歓迎せらるる商売である。資本も二三百円くらいから、どうやら店を開かれる。また小綺麗な商売であるから、書生上りの人などがよく取りつく商売である。場所は誰も知る如く学校の側と定まっている。不便な場所の店ならば、文房具ばかりでなく、学生の必要品いっさいを売るのがよろしい。これ自分の利益ばかりでなく、学生に対しても非常に便宜となるからである。すなわち行李、靴、教科書、その他書籍、雑誌類、絵葉書、パン類いっさいを売るのである。
 しかしこれまたきわめて薄利のもので、筆一本から三四厘の儲けがあるばかりで、半紙の如きは上から順々に丁寧に取って売らなければ汚れや皺をこしらえて、売物にならなくなる。雇人の小僧や下女に任せておくことの出来ないのもそのためである。やはり妻君の内職として、自らその店の整理に骨を折らなければ、とうてい人任せにして成り立つものではない。

    三、ミルクホール

 これは商人や職工を相手の商売でないから、ぜひ学生官吏等の淵叢地に店を開かねばならぬ。すなわち神田区本郷区などの最も多くの学生の集る場所で、その内でも大学、高等学校の付近が最上の場所としてあるけれども、店に来る得意ばかりで経済の立つ店は甚だ稀れであって、多くは主人自ら朝夕配達をなし、妻君は内に在って店番するのが常である。店では普通の牛乳ばかりでなく、コーヒー、ココア、洋菓子、食パンも添えて客に出すのであるが、いったいミルクホールというのは至極手間のかからない、簡便な弁当代りのものを認めるところであるから、昼食と夕食時刻の前後には、あいている椅子のないほど客が充満して、数人の人手を要してなかなか忙しいが、その時刻以外には、店番の必要はないくらい、客足が遠くなって手持無沙汰のことがある。この忙しい時の助力がことごとく雇人でもあれば非常に不経済になる。前後の閑な[#「閑な」は底本では「閉な」]時にもこれらの雇人の手を遊ばしておき、そして給金を払わなければならないのであるから、その時間を利用して、牛乳の配達を兼ねざれば経済が立たぬ。一合のミルク普通四銭を定価とし、平均店と配達とにて一日二斗内外の牛乳を売れば家族の数人の生活費は得られるであろう。但しこの商売ほど同業者多くして、競争の激烈なものは他に比較を見ないところであって、彼らは一度得た得意を逃さないためには、巣鴨の如き僻陬の地から、浅草深川の如きとび離れた場所へも喜んで配達するのである。そのくらい勉強をしなければ得意は取られてしまうからである。ある牛乳屋は自分で牧場を持ちながら自ら搾乳と配達をしているが、毎日東京市中を十里ずつかけ歩くという実話をした。創業の際などはこれほど勉強しなければ競争場裡に立って行けないのである。牛乳配達の回数はおおむね午前午後と二回であって、午前は朝三時頃から始め、午後の配達は二時頃から配らなければならぬ。得意は滋養物として規則正しく飲用する人が多いから、ぜひ食事前に間に合うよう配達せねば、直ぐ他の勉強家に得意を奪われてしまう。
 次に牛乳屋は甚だ手数のかかるものであることも、予め覚悟しなければならぬ。牛乳は甚だ腐敗の早いもので、少しも油断は出来ぬゆえに、牛乳が牧場から運搬されるたびごとに、親切に入念に消毒法を行わねばならない。ことに夏期は一度消毒した牛乳を絶えず冷水につけておくこと、用器や空瓶も丁寧に消毒することなどなかなか苦心を要するものである。洗いようが粗末であれば、牛乳がいくら新鮮でも腐敗するのが早くなる。一度腐敗した牛乳を知らずに配達したら最後、たちまち信用を欠いて即日お断りを受ける。しかし普通のミルクホールを開店するには、椅子[#「椅子」は底本では「綺子」]テーブルから菓子皿コップ、室内の装飾等のために、三百円内外かければ一通りは揃うのである。他の商売と異り、仕入のコツというようなものがあるのではないから、地方出身者の仕事としては、まず着手しやすいであろう。

    四、薪炭商

 田舎人は大概自分の郷里から多少の薪炭が産出せられ、またその代価が東京の小売相場に比較して廉価な所から、これを東京に運搬して販売したならばはなはだ利益が多いだろうと考え、着手した人も随分多い。しかし現在東京人の間に使用される薪炭の種類及び産出地はすこぶる複雑なもので、我々素人のとうてい想像も及ばない事もあるのである。すなわち薪はおもに常陸、野州から来るもので、普通各区において使用されるものである。炭は会津より来るものが多く、伊豆紀州から来るものは品質が最上で、かつ水利のある所から、日本橋、京橋、新橋等の地に専ら使用されるものと、昔からほとんど定まっているので、これらの品を使い馴れた人々は、決して他から来る下等品を用いない。また野州炭や常陸産を用いている人は伊豆や紀州辺の上等品は決して使わない。こうして東京の得意は少しくらい値の安いのに動かされるものではないから、田舎のポッと出の人がむやみに郷里の薪炭を売りつけんとしても、つまり買手はないのである。但しこの薪炭業も、仕事が比較的簡単で店飾りというものもないのであるから、素人としては着手し易い商売である。その代り利益もきわめて薄い。その売上げ利益は平均一割にも当らぬものである。ただ相場の騰貴する前、敏捷に立ち廻って、いわゆる見込買をしておく時は、一割五分ないし二割を儲けることもあるが、これは資本の裕かな人で融通のきく人でなければならない。普通問屋から日々注文のものだけを仕入れて来て小売する人は、一把の薪一俵の炭をも労を惜しまないで、遠く隔っている得意へまで配達することによって、初めて幾分の利益を得られるのである。それも創業時代には決して雇人などをおかず、遠回りは主人自ら配達し、近所は主婦も受持って届けるくらいの決心と実行がなければ、とうてい成り立つものではない。自分の知っているある勤勉な薪屋さんは、年中五時から仕事にかかって、夜は十一時まで夜業をし、そして主人初め、家族、雇人総勢京橋のある河岸端から新宿、下谷、本郷のかけ離れた場所まで配達し、精限り根限り働いて、それでただ生活して行くだけであると云う。競争の激甚な東京で、無事に生活するというその事が、実に容易のことではない。必死になって人一倍働かねば、実際生きて行かれないのである。

    五、パン店

 これも素人好きのする商売であって、ことに女の内職としてはこの上もない適当な仕事である。ある悪口屋は痛罵して曰く、パン屋の内儀さんは大概妾であると。たしかに一部を穿った真理である。実に女子供にも容易に出来るのと、資本も三四百円もあれば開店できるので、同業者夥しく、同町内にも数軒より十軒くらいの多きに及ぶ所も、店にはガラス瓶や缶詰等の商品を見事に飾り立て、白熱ガス燈でも点ずる時は、ピカピカテカテカ輝り返して外観すこぶる美わしいけれども、物には裏表のあることを記憶せねばならぬ。妾的婦人が小綺麗に扮装して美しく磨き立てた店に鎮座ましませど、儲かり過ぎて綺麗にしているのでは決してない。たとえ僥倖にして成功したところが、自分一人の食料か家賃の幾分を補うくらいが関の山であって、店の売上げをもって家族を養うことはとうてい出来ない。多くは半年一年の内に食い込みとなって、店を人手に譲り渡すのである。自分は開店以来僅か数年を経過しただけであるが、この間に取引せし小パン屋約三十軒余であったが、今なお現存している店は、塩煎餅を製造してパンを副業とする店と、食パンを製造して菓子パンをかたわら売るという店と、ただこの二軒が残って続いて営業しているのみ、その他は屋号こそ旧のままなれど、店主は何代か変っているのである。まことに心細いことではないか。
 いったいパン屋なるものはきわめて金高の少ない薄利な商売であって、卸しの割合は二割から二割五分増しを通例とするが、これがすなわち純正の利益とはならぬ。この内から袋代を払い、ガラスの器物の破損をも償い、また菓子パンのローズとして売物にならないものが出来てきて、かれこれ損害の分を差引き、平均一割の儲けとなればごく上出来である。こうして普通受売屋の一日の売上げ二円より三円五六十銭を普通とし、四五円を得る店は甚だ稀れである。かりに五円の売上げと見積って一ヶ月の利益僅か十五円に過ぎぬ。以上は受売パン屋の内情を少しく述べたものであるが、これより製造の内幕を開いてみよう。但し食パンの製造は素人にはちょっと手の出せる事業ではないから省略することにした。
 いったい何でも製造ということは、素人目には非常な利益が多いように見えるものであるがその実全くこれとは反対である。何故な
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