商売の性質とを考え合わさなくてはならぬ。普通の人がこの関係については充分の注意を払わないで、単に通行の多い賑った町で、しかもなるべく家賃の安い家というような考えをもって貸家を探している。またたとえ多少は場所の選定について研究する者はあっても、地方の考えが頭脳を去らないがために、その見当を誤まることが多い。商売が繁昌するか、失敗に終るかということは、全く場所次第である。ゆえにもし不適当なる場所に資本をおろしたならば、もはや取り返しはつかないのである。
 場所の選定について注意すべきだいたいの所をいえば、近来電車が開通して交通の便のよくなった結果、東京の商業の中心が一部に固まって来た。今まで十五区に各中心があって、いずれも繁昌していたのが、今や本当の中心は日本橋京橋へ集中して、各区の中心地は小中心の有様となって来た。この中心というものは、豪商富家が多数集合して、多年の信用を保っている所であるから、最も顧客を絶えず惹きつけている。ゆえに大いに為さんとするならばこの中心地に踏み込んで開店するのが最も得策であるが、しかし新出の者が十分の声価をあげて相当顧客を引きつけるまでには、少なくとも隣家に見劣りせぬだけの装飾仕入が出来て、二三年間は維持し得る資本がなくてはならぬ。だから中心地で始むるか、小中心で始むるか、また場末で開店するかということは、いっさい資本の問題である。もし少ない資本のものならば、将来有望と思われる場末の地で、その隣家に立ち勝った店を開くが上策である。しかればその地での第一流の繁昌店たることが出来る。資本に不相当なる場所に高い家賃を払って、みすぼらしい店を開いているようでは、とうてい繁昌の見込みが立たぬ。

    三、地方と都会との差別を知らざるにあり

 商売の性質と場所とを知ることが大切である。すなわちその地には如何なる種類の人が多く集っているか、また如何なる商品が最も適当であるかについて、十分に踏査し、鑑定をつけることを誤まってはならぬ。概して地方相手の卸業ならば日本橋がよろしいし、新奇な舶来品ハイカラ好みの商品ならば、京橋就中銀座辺また本郷神田の賑った通りに開店すべし、本所深川ならば職工向きの商売が適しているし、牛込本郷の一般では学生を相手の中心とすべきである。概して言えば同業者の多い所を見定めて開店するのがよろしい。それは田舎では同業者のない飛び抜けた場所に開店する方が多くの客を引くことが出来るのに、東京では概して飛び離れた場所では、多く客を引きつけることは出来ない。だいたいにおいてこれだけの事情が頭脳になくて、ぼんやり店を開いた結果は当然失敗する。

    四、家の位置構造に注意せざるに因る

 第四にはいよいよ場所の選定が出来た後に、その場所の如何なる家を借り受け、または買い入れるべきかということが問題である。田舎出の人の通弊として、適当の場所に適当の家が容易にみつからないのに、あせって軽率に資本をおろす、その結果は取り返しのつかぬ失敗を来すのである。
 商店を見定むるについては、何業に限らず総じて朝日夕日を受くる家は避けなくてはならぬ。その商店がはげしい日射によって損傷を被むることは著しいが、特に八百屋、卵子屋、果物屋、菓子屋などは朝日夕日を受ける店ではその損害もまた甚しい。
 また、田舎の人の常として、家賃や雑作の安い家を求むるに骨折るのであるが、場所の好い所は家は悪くても、雑作の価は一種の場所権となっているので、雑作家賃の安い所では、商売は成り立たぬ筈のものである。普通に家が立派で雑作の安いのを選ばんとするものは大なる見当違いである。また道幅と間口との関係がある。例えば銀座通りの如き道幅の広い所では、間口の狭い店ではとうてい人の目を引くことは出来ない。下谷仲町、本郷森川町、牛込通寺町の如き道幅の狭い所では間口二間くらいでも十分に客を引くことが出来る。畢竟するに間口は資本に応じなくてはならん。資本が少ないのにいたずらに間口の大きい家では、店が寂しくて、とうてい客を引くことは出来ないわけである。ゆえに家を選定するには、まずこの辺の事情を十分参酌しなくてはならん。これらはその店が繁昌するか衰亡するかに少なからぬ関係を有している。

    五、地方の事情を以って東京を律せんとする

 東京と地方との事情の相違点について注意すべきは、地方では物価の安値ということが信用を博する唯一の手段であるけれども、東京ではむしろ商品の精良ということを主としなくてはならん。地方ならばあの店は安いとの評判が立てば、一厘二厘の相違で三丁五丁の道を厭わずに買いに行くくらいであるけれども、東京では便利ということが主となっており、かつ周囲がきわめて複雑であるために、多少の安値くらいで客の足を引き寄するは決して容易ではない。その中には資本倒れとなってしまう。むしろ品質の精良に努めなくてはならん。東京人は概して安値よりも品質の精良を好む習慣がある。しかも一般の趨勢が追々に贅沢に傾きつつあるから、今後の競争の要点は品質の精良と確実とに帰する。この事情をのみこまずにいる商人は、終には失敗に帰するのである。

    六、装飾と仕入れの呼吸を知らず

 店頭の装飾の如何は、客を引きつける上に大関係がある。中流以下の多数の客を相手とする店はあまり綺麗にすることはかえって不得策である。例えば居酒屋、飯屋、駄菓子屋などでは、店を綺麗にしたために、全く顧客を失った例は沢山ある。これに反し、中以上の客を相手の店では装飾はなるべく綺麗にする傾きが近年ことに著しい。パン店などでも、五年前には装飾費用が二三百円くらいで足りていたのが、今日ではこのために千円以上を費さなくてはならぬ有様である。だいたいの装飾の一般程度といえば、これはその場所に適応せしめなくてはならん。近隣よりもあまりに飛び抜けて綺麗にしては、客は入って来ることを躊躇するのである。もしまた近隣よりもはるか見劣りする店ではもちろんよろしくない。要するに近隣の平均に少し立ち優るくらいがその場所には最も多く客を引く程度である。
 さらに、仕入の事について一言すれば、仕入の種類及び程度を鑑別することは最もむずかしい。仕入が寂しくては客を引き顧客を広むることは出来ず、またやたらに品が多くては廃物が出来る。呉服物ではその季に売り損えば、翌年はもはや流行後れとなって、廃物となる品が多い。菓子や果物類は一週間売れなければ廃物となる。廃物がどしどし出来ては商売は成り立たぬわけである。店を大きくする以上は、多少の廃物は免れまいが、それをなるべく少なくするには、常に流行の趨勢を察し、嗜好の移り変りを吟味して、絶えず客の嗜好性を導くように心得て仕入なくてはならぬ。この加減が飲み込まれるには多年の経験を積んで、よくその土地の事情に明るくなくては出来にくい。これが田舎出の人には最も難物である。

    七、店員の使用法を心得ず

 最後に小僧の使用法について一言すれば、商家のほとんどすべてが小僧店員の欠乏を感じて居るが、これは畢竟[#「畢竟」は底本では「畢境」]主人が小僧店員の虐待にほかならぬ。世間はすでに立憲政治の行われているに、家の中はなお封建制度を墨守しているものが多い。主人家族は美食しているが、小僧雇人は特別の粗食である。休息日に家族の者を遊びに出して、雇人小僧に留守番をさせている。これが小僧の不平の根元である。また一定の休息時間を与えない。ある仕事を仕上ぐればその先に休みが出来るとの望みを与えない。従ってその仕事に隙が入る。主人の目先きを偸んでは怠ける。良店員良小僧とその家の商売とは関係が最も密接である。しかるに田舎では雇人は朝から晩まで息もつかせずに働かしむる習慣があるから、新たに東京に出て来た商人も、その雇人を使ったように使おうとする傾きが著しい。これがその店の繁昌せぬ一原因となるのである。

    新たに商店を開く注意

 地方人の失敗する理由は、概略前章において述べた通りであるが、いよいよ新たに店を選択せんとするには、さて如何なる場所を如何にして得べきかを詳細に説く必要が起る。それゆえ多少重複の恐れはあるが、左に別項を設けることにした。

    一、場所の選択

 我ら素人はとかく事業に関して臆病にすぎるもので、商店の選択なども、思い切って好場所を探さんとはせず、いつも見込のない場末を選ぶくせがある。これは資本の裕かでない、しかも無経験の田舎人にとりては至極もっとものようなれど、商店の盛衰は過半場所の如何にかかるものである。
 天下の商業界に第一流を占めんと欲せば、思い切って第一流の地を選まなくてはならぬ。第一流の地とは歴史的にすでに東京の目抜きの場所といわれている所で、実際上にも海陸とも交通の便利最もよく、銀行、問屋、運送店等にも至極便利のよい地を選まなくてはならぬ。しかしながらかかる地はすでに有名なる豪商等の占むる所となっていて、地方出身の人の容易に割込むことの出来るものでないから、初めは第二流、第三流の中心地を見立て、ここに城を築くがよろしい。例を取るまでもないが、織田信長や秀吉は、尾張の如き大平原に起ったけれども、武田信玄のように山間に城を築いたのではとうてい成功するものではない。四谷の片隅や小石川の谷では、日本全国相手の大商店は起る筈のものではない。ゆえに資本の少ないものは第二流第三流の地に開店しておいて、次第に資力を貯え、信用を増した上で、初めて第一流の地に出て奮闘を試みる覚悟がなくてはならぬ。
 ある歯科医はその技術においては東京でも随一と評判される人であるが、資本が充分にないために、誤って浅草の一隅に開業した。開業以来すでに十年になるが、割合世間に名が広まらないで依然として微々たる有様である。これに反してその人の朋輩であった所の一歯科医は、人物も技術も前者に比してはるかに劣っていたが、機敏にも大奮発して中央の目抜きの場所へ開業したため今は堂々たる歯科院長として、非常な盛大を致しているようになった。その他医師はもちろん弁護士、産婆などのすべて人を相手の職業は、その得意とすべき人物が有力で、そして多数である所を選ぶことが最も必要である。ことに商業はこの点については最も苦心を要する所である。一度この選択を誤まれば、万事は休するのである。
 なお一つ注意すべき事が残っている。それは東京市中に電車が開通するようになったため、各商店は非常な影響を蒙った。すなわち電車停留所付近はまだ開通していなかった以前よりも売上げ高が増加して、ただ通行する道に当っている商店は大概売上げが減少して来た。つまり停留所付近で増加したそれだけ減ったわけであるから、この事もよく考え合さねば失敗を招く原因となるのである。

    二、地理上の関係

○昔の人は山に住む人を仙人といい、谷に住む人を俗人といったそうだが、商人はその俗人中の俗人であるから、なるべく低き所に店を持つことが必要である。土地の高い所には決して大商店は発達せぬものである。これは一種の心理作用から来るものと見え、誰しも買物になど出かける時には、我が居宅から低い方へ行き易く、高い方へは容易に足が進まぬものであるから、とかく低い所が商店としては繁昌するようである。東京、横浜、大阪神戸なども、ことごとく下町に商店が集っていて、山の手は学者官吏などの住所であるゆえに、高低のある地であるならば、なるべく低き所を選まねばならぬ。
○あまり広き路幅の所は店が淋しく見え、夏は日光が強く照らすように思われ、冬は寒そうに感ぜられて、道行も幅の狭い街へ避けようとする傾きがある。これはひとり人間ばかりでなく、魚の泳ぐ所を見てもやはり物の陰に集まろうとしている。それゆえ市区改正のために商業上大打撃を受けた実例は到る所にある。路幅の広い街さえすでにかくの如くであるから、片側町の繁昌しないのは申すまでもない。
○坂町も禁物である。人は坂を上らんとする時は必ずやっとの思いで頂上に達せんとあせるものゆえ、途中の商店に眼を配る暇がない。下る時も同様である。馬なども坂路は非
前へ 次へ
全33ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング