あります。
 しかし今日の如く百貨店の商品切手が現金同様に取り扱われ、また、その他の商店へ持って行っても通用することは完全なる紙幣類似ではないでしょうか。
 個人商店としても、一流百貨店の商品券を五分ぐらいで買ってくれる切手交換所などあるのですから、五分くらいの損をしてもなお幾分儲かることなら御得意を百貨店に奪われるよりはと考えて、現金同様に取扱う事になるのも当然の結果です。
 連合商品券は紙幣類似で、各商店あるいは各百貨店が発行している商品券は紙幣類似でないと云う理屈はいちおうもっともの様でありますが、決して当を得たものでないと私は考えます。
 サッパリと商品券全部を紙幣類似として禁止した方が片手落ちがなくていいものと私は思うのであります。

    世界に雄飛する米人経営の商店

 ロンドンにおける日本の商務官松山氏を訪ねて、百貨店対個人店のことを訊きましたところ、「ロンドンの百貨店は個人商店を圧迫するほど力を持っていないが、米国からの支店である百貨店は非常に勢力を持って居ます。しかうして[#「しかうして」はママ]米国の百貨店は英国の百貨店全部を買収する勢いを、着々実行して居るのでさすがの英国商人も狼狽の気味であり、政治家の間にも何とかして米国資本の大百貨店を抑えなければならないと云う意見さえ起って居ます」とのことで、その他委しい話を聞きましたが、とにかく米国人の活発さを目のあたりに見て、少々羨ましくもありました。
 日本から欧州に来るまでの四十日間、常に英国人の勢力に圧せられし地を見た私には、その英国人を圧迫する、米人の雄飛に対して痛快を感じた次第であります。
 大資本を有する三越の如きも、いたずらに小さな内地において「我が三越は世界いずれかの百貨店に劣らない」などと空威張りせずに、眼を海外に転じて、ロンドンであるとか、パリであるとかいう、世界の市場に乗り出して貰いたいと思います。そうなれば特に海外視察に人を派遣する必要もなく、輸入品[#「輸入品」は底本では「輸人品」]なども必ず安く仕入れることが出来て、東京の本居もますます繁昌するようになる。これがすなわち米国商人のやり方であります。三越なら必ず相当の事績をあげ得ると私は信じます。

    個人商店に望む

 今日の百貨店は文明の利器を極度に利用し、最も進んだ方法を採り、商品の仕入の如きも世界的に広く求めて居りますゆえ、これに対抗する個人商店も、かれにおくれないだけの研究、否、更に一歩進んだ研究をしなければなりません。
 飛行機とかけっこ[#「かけっこ」に傍点]してもかなわない。機関銃に対して昔からの火繩銃で戦争をしても勝目はない。向うが機関銃で来たら此方もそれ相応のもので向わなければ駄目です。これらの研究さえ出来て居れば負けることはない。大きい鷲が強いといっても、雀はいくらでも繁殖して居ます。大百貨店が何百あっても、小さいものは小さいものなりの発展を得ることが出来るのであります。
 我々個人商店はその専門の立場において自身の長所を発揮し、仕入の事においても、各は、各自の連絡共同の方法をとり、世界のありとあらゆる最も進んだものを取り入れる事を怠らず、また改良すべきことは改良して、お得意を満足させる様にすれば、個人商店が百貨店に対抗して、また必ずしもおくれをとるものではないと思います。
 今日まで百貨店からは年々歳々欧米に人を派遣して、それぞれの研究をしているにかかわらず、個人商店からは少しも研究に行かない。もっとも外国に行ったからとて必ずしも名案を得るという訳ではないが、広く知識を世界に求めることが必要であります。特に高等品や外国品を扱って居る店にあっては、自分が取引している以上のよい品が、他にあるや否やを調査する事の必要であることは申すまでもないと思います。

    自分は個人的商店の長所を発揮

 新しい方法で進んで行く百貨店は今後においても、なお幾分発達して行く事と私は考えております。しかし米国あたりではこれに対抗する方法として、信用ある個人商店が百軒くらい共同して百貨店同様な店をこしらえて居るということですが、これならばあるいは百貨店を向うにまわしても大丈夫かと思います。だが欧州においてはまだそういう店はないようでありました。
 私は米国を廻わって来なかったので、最も活気あるこれらの商業振りを実際に見なかったことを残念に思います。
 とにかく私は個人商店としての長所を発揮して、百貨店と対抗して行く事を理想として進んで行くつもりで居ります。
 しかし私は百貨店を目の敵にする次第ではなく、東京だけでも十万戸もある個人商店が、各々その長所によって繁栄を続け、百貨店と共に共存共栄の道を進んで往きたい希望であります。なお、この事に関して種々研究もありますが、あまり専門にわたりますゆえ、話題を転じ二三の所感を話しましょう。

    宮様でさえ貸間に御住居

 欧州から帰った人々の口から次のような言葉をお聞きになったことと思います。
 実に巴里の街は美しく、建築は立派だ。
 ベルリンの街は家並が揃って雅趣がある。
 日本の家は高いのがあったり低いのがあったりして見苦しい。
 そんなことを前々から聞いて居りました私は、自然とそれらの事にも注意して街々を見て廻わりました。なるほどベルリンの街は五階より低い家は造ることを許されない。またそれより高い家を造ることも許されないので全部が五階建でした。ロンドンはあまり面倒な制限がないので四階もあれば七八階もあり相当立派でした。パリは高さに制限はないが外観に重きをおいた規則があるので、外観は羨ましいような気がしました。が、さて、内部にはいって見るといずれの都会も大して羨ましい事もなく、むしろ私はこんなところに住む気にはなれなかった。
 もちろん外観は立派ですが、この堂々たる建築物も、下では商人が店を開いて居り、二階はホテル、三階は事務室、四五階には腰弁階級の人々が住って居るといった具合で、五十人百人の人々が住居し、一軒の家を一人で使っている人はほとんどない。巴里で日本の宮様が借りていらしたという家にも行って見ましたが、ただ一階だけを借りて居られたので、二階三階にはどんな人が住んで居るかわからない。
 宮様でさえかくの如き有様ですゆえ、たいがいのところは一軒の家に何十人何百人という人が住んで居ります。

    日本家屋の長所

 このように外から見ると立派な外国の建物も、種々な不快さがありまして、日本のように一軒の家は一人の所有で、他人の干渉を許さずと、云うような気持の善い所がありません。
 日本家屋は見てくれこそ悪いが、住み心地からいうと必ずしも西洋の方がいいとは言えません。外観だけ見て西洋を買いかぶることは、甚だ早計です。これは単に家屋のことばかりじゃないということは申し上げるまでもありません。

    立派な喫茶店――内幕は苦しい

 次に喫茶店、すなわちカフェーのこと。本場だけに彼方には立派な喫茶店が沢山ありました。ロンドンでは間口二十七間、奥行二十五間、五階建という大喫茶店がある。一度に二千人、三千人のお客がはいる、そして立派な音楽家が各階に三人、五人、多いところでは二十人も居て音楽をやって聞かして居る。椅子なども非常にゆったりした肘かけ椅子など実に立派なものを置いてあります。この椅子によりかかり、音楽を聞きながらコーヒーを飲んだり、菓子を食べたりして居る心地は素敵なものです。
 パリの大通りに行くと商家の半分はカフェーであるかと思われるほど、夕方から夜おそくまで、何千人あるいは何万人の人々がこれらのカフェーにはいって遊んで居る。
 ロンドンの有名な喫茶店にはいって見た時のことですが、なんでも高価なのには驚きました。
[#ここから1字下げ]
コーヒー               五十銭    (昭和三年の物価比準)
アイスクリーム           七十五銭
チョコレート・アイスクリーム    一円
サンドウィッチ           一円 (二円の物もあり)
[#ここで字下げ終わり]
 これはうっかり食べられないと思いましたが、隣りの人やその他の人々を見まわしたところ、たいがいはコーヒー一杯くらいで三時間も四時間も平気で音楽を聞いて居る。
 そこで私は職業上の立場から計算を立てて見ましたところ、なるほどこの立派な椅子にかけさせ、音楽をきかせて、しかもコーヒー一杯で三時間も居られたのでは、一杯のコーヒーを五十銭に売ってもまだ足りない。自分の胸算用では決して儲っていないと考え、その後土地の人にきいて見たところ、果せるかな私の見込み通りで「この向う角のコーヒー店の如きも昨年から店をしめて居ますが、まだ借り手がありません」との事であった。
 日本より三倍四倍も高い金をとっても、一杯のコーヒーで三四時間も居られたのでは、さすがの喫茶店も廃業するに至るのはあたりまえで、他の立派な喫茶店も内幕は中々苦しいようでありました。

    公園が賑うのも喫茶店の繁昌するのも同じ理由

 しかしどこの喫茶店も大入満員で繁昌して居ることは事実です。よって私は繁昌する原因と、繁昌しても儲からない原因を研究して見たのであります。
 前にも話しました通り、彼方の家はたいがいアパートメントになって居ります。日本に出来ているアパートメントの多くは各部屋が事務所に使用されて居りますが、彼方ではその蜂の巣の様な各部屋を住宅として、沢山の人が住んでいるので、各階の各室とも窓が二つくらいしかない。錠前付の出入口が廊下に並んでいて、何百何十号という部屋番号が付いていて、はなはだ殺風景な有様でありますので、さすが物質文明に慣れて居る人々も一日中こんな家の中にはいられない。そこで外に出て伸び伸びとした気持を味わうことになる。従って喫茶店にはいるといった具合で、喫茶店は大入り満員となる。しかも早く家に帰っても仕様がないので、寝る時間になるまでここに居ようという心理状態になるのだと思いました。
 だから喫茶店の繁昌することはおびただしいが、喫茶店の方ではさほどに儲らない訳であります。
 西洋では公園が至るところに沢山ある。その公園へ行ってみると、大勢の男女で賑って居ますが、これを今言ったように牢屋のような所にばかり居られないので、公園にでも行く、一人で行くよりもお隣りの娘さん、但しお隣りといってもお隣りの部屋、また上もお隣り、下もお隣りですが、その娘さんなど誘ったりして公園の散歩としゃれる。そして一緒に散歩してくれた駄賃にコーヒー一杯ぐらいおごるというふうになります。
 それを日本の人が見て、日本には公園がない、大いに西洋におくれて居ると騒ぎ出したので、東京にも多くの公園が出来た。しかしその公園は子守っ子が遊んで居るのみでいっこう利用されない。先年の大震火災に際して初めて公園もお役に立ったが、公園設置の根本の意義はそんなものじゃなかったのであります。
 すなわち、日本においては中流以上の人はたいがい自分の家に庭があり、縁側があり、心地よく休息が出来るので[#「出来るので」は底本では「出来るで」]、無理にお隣りの娘さんをコーヒーで誘って公園に出かけなくってもすむのであります。

    鶏小屋だと思ったら人間の小屋だった

 また、ロンドンだのパリだのの郊外に行くと、五十坪か六十坪ぐらいの畑の真ん中に三畳敷ぐらいのバラックが何百何十と並んで居る。私は初め汽車の窓から眺めてずいぶん沢山な鶏小屋があるものだと驚いたが、皆な人間の小屋であることをあとで知りました。これも蜂の巣式の家に住って居る都人士のくつろぐ場所で、土曜から日曜にかけて遊びに行く小さな別荘なのでありました。
 日本には外国のような大建築もないが、またこんなチッポケな別荘もない。彼らはその郊外の小さな別荘に行って花を作るとか、作ってある苺を摘んで食べるとかして一日をたのしく遊ぶのであります。そういう家が幾千となくある。これらも窮屈で殺風景な部屋に住んでいる結果として、必然的にこんな流行が生じたの
前へ 次へ
全33ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング