な東洋で、日本と同じく東洋民族の国であります。しかしながら、その国を領して居るのは英国であります。ちょっと驚かされたのは香港で、一周二十五哩の香港島を自動車で廻った時、その道路が外務省横の東京一の道路のように立派であった事であります。なおセイロン島においても、コロンボ港から七十何哩奥地のカンディーの仏牙寺に至る道路の如きも砥の如く、このような道路を英領至る所において見受けられます。またこれらの地は御承知の如く熱帯で、ずいぶん凌ぎにくい所でありますが、英国人の住宅は東京あたりでは見受けられないほどの堂々たるもので、庭園にかこまれ実に涼しく造られてあります。そして彼らは自動車を駆ってこの大道路を自由に馳せて居りますが、土地の人達は灼けつくように熱い道をたいがいは裸足で、身には僅かに薄い着物一枚着けただけで歩いている。
 さて、このように英国人等は贅沢をしているが、何故にこれほどの贅沢が出来得るやと考えざるを得ませんでした。
 印度の往昔は世界第一の富んだ国であったというのに、今では世界で最も貧乏の国となった。しかしその生産力は、昔も今も少しも変りなく、やはり昔の通り気候も良く、天産物が豊富であるにかかわらず、その昔の主人公たりし印度人が貧乏になって、裸足で椰子の実をかじり、あるいは少しばかりの米を食ったりして居ります。しからば、今までの富はどこへ行ったかと云うと、それは英国に行った。英国人の贅沢も、立派な道路も、奪われた富の一部であると私は考えました。

    奪われた商権

 何故に富を奪われたかと申しますと、一面において印度が政治上、英国の支配を受けなければならない様になったがためでありますが、私の見る所では、経済上英国人に負けたことが重大なる原因になって居ると思います。例えば、印度人が一生懸命になって椰子をつくる、その椰子の実は昔なら十銭したものを五銭くらいで英国人に買取られる。その相場が不当であっても、商権を持っていない印度人は如何ともする事が出来ず、仕方なく売ってしまう。
 これが英国人の手にはいると、椰子の実は精製されて、菓子の原料のココナッツとなり、あるいは上等の石鹸に製造されて、一個分が五十銭か六十銭になる。その他紅茶も作られて居りますが、これも一ポンド分の原料を僅か五十銭か六十銭かに英国人に買取られたものが、紅茶に製されて世界の市場に出ると、一ポンドが二円五十銭とか三円とかいうような値段で市場に売られて居る。私の店でもリプトンティーを販売して居りますが、仕入の際に、印度の原価は五十銭じゃないか、二円五十銭はあまり高すぎると云ったところで相手にされない。
 茶を作って居る印度人は裸足で歩いたり、粥をすするよりほかないのに、原料を五十銭で買って造った茶を三円で売る英国人は、自動車をとばして居る。
 こういう事情を見ても商権を奪われるということくらい、浅ましい無惨なことはないと感じました。

    而して我が国を観れば

 然らば自分の国は如何と顧ると、なるほど日本は印度ほどのことはありません。が、甚だ似たところがあります。日本の生命とも云うべき生糸が千円以下でなければ売れない。農家は繭を一貫三円か四円で売らなければならない現状でありますが、その繭を造るに五円五十銭もかかるのであります。それを三四円で売って居ては、養蚕する農家は年々借金が増すばかりであります。
 然らば生産費にも当らない生糸の値を誰がつけたかというと、結局日本の生糸を需要する米国人等に売権を握られて、相場を左右されて居るがためであります。
 かく生糸は安いのにかかわらず、私がロンドンの商店で試みに婦人用の長い純絹の靴下を買ってみましたところ、それは一足十四円でありましたが、目方をかけてみますと日本生糸の値としておよそ一円四十銭くらいのものでありました。すなわち一円四十銭の糸で造ったものが、十四円で売れる。つまりその原料は売価の僅か十分の一にすぎずして、九十パーセントの利益は、欧米の商工業者の手にはいる。然るに一円四十銭の糸を供給する日本人は、かえって五六十銭の損をして居るのです。
 これがもし日本の手に商権があって、外国からぜひ日本に「生糸を売ってくれ」と云って来れば、日本では「桑の原価が二円かかっているから、少しは利益を見て二円五十銭くらいで売ろう」というようになる。こうなると日本の生糸も、今日より二三億円高く売れることになって、外国貿易の平均がとれるようになります。
 しかるに現今のような状態では、印度の有様も、日本の有様も、単に大なり小なりだけの相違であるような気がします。
 これではたまらない。自分は今まで東京に居て商売を繁昌させればいいとのみ思って居ましたが、一度海外に出て見ると、内地で商売を繁昌させても駄目だ。何とかして、外国人と商業取引をして、彼らにシテやられないという研究をしなければ、日本の将来も、印度のようになりはしないかと、旅行中しみじみ考えさせられました。
 ちょうど、私が乗りました船に海軍の大佐中佐級の方々が十人ほど乗って居られましたが、この方々とも非常に懇意になっていろいろ話をした際に、「日本の陸海軍は世界のいずれの国にもひけをとるところはないが、何分日本は貧乏であるゆえ、飛行機を沢山作りたくも、また軍艦の優秀なのを造りたくも出来ない。相馬さん、あなたは商人だから軍艦の二三艘も寄付しなさい」と冗談に云われましたが、私は単に冗談とのみ考えることが出来ず、そういう軍人の方々に対して商人として顔向けが出来ないような気がしたのでありました。自分も旅行より帰ったら自らも奮発し、また他の方々にもおすすめして、今までに奪われて居る商権は取り止めて、印度の轍を踏まないように心掛けねばならないと考え、今度の旅行にその方面の研究も加える事にして、幾分気を付けてまいったのであります。

    百貨店の研究

 英国、ドイツ、フランス等においてほとんどありとあらゆる百貨店を見て廻りましたが、東京の三越ほど賑かに繁昌している百貨店は一つも見受けませんでした。これは三越の重役の方が常々「世界中我が三越ほど繁昌して居る百貨店はない、決して他国の追従を許さん」と云って居られた事が、決して嘘言でないことを知りました。
 彼方の百貨店は一階二階は賑わっているが、三階以上はガランとして居る。それに比較すると、三越にしろ、松屋にしろ、上の方までずいぶん賑わっているので、なるほど三越の重役の云う通りであると思い、それから仔細に研究してみて、ようやく日本で百貨店が繁昌する原因と、彼方で一流商店が堂々と百貨店に対抗して繁昌して居る原因とを、知る事が出来たのであります。
 パリ、ロンドン、ベルリン等における一流商店はかなり有力でありますので、最も優秀な品を求むるには、ぜひとも一流商店に赴かねばならない。すなわち百貨店では間に合わないのであります。然らば百貨店にはどういう人々が来るかというと、主に婦人の方が流行品を買いに来る。また百貨店はお客の多数を目的として居りますので、従って中流あるいは中流以下を相手の経営方針を採り、商品は概して安物が多いのであります。
 それゆえ、個人商店にこれと対抗し得る強いところがあって、百貨店を向うに廻わして角力がとれると云うことになります。しかるに日本においては残念ながら百貨店のみ強く、個人商店はだいぶ見劣りがします。角力に喩えて見ると東方に横綱、大関が幾人も居て、西方は幕下ばかり居るかたむきがありてんで[#「てんで」に傍点]角力にならない。
 西洋では百貨店に梅ヶ谷もあれば、一流商店に常陸山あって堂々と角力を取って居るような趣きがあります。

    百貨店に対抗する戦術

 日本では百貨店が急に勢力を得たもので、一般商店は少々立後れの気味があるのに引換え、西洋では多年百貨店を見ながらやって来て居るので、百貨店に対抗する戦術を心得て居ます。日本では一流の大商店、すなわち※[#「にんべん」、第4水準2−1−21]《にんべん》も鰹節を百貨店に納めて居る。また菓子店として有名な藤村や栄太楼も自店の品を納めている。そこで一般のお客は特に藤村や栄太楼に行かなくても、百貨店で用が足りる事になる。従って自店の御得意をわざわざ百貨店に進上した形になって居ります。
 それに引きかえて、英、仏等の一二流店では、決して自店の品を百貨店に納めるような愚をしない。これは自衛まことに当然なことであります。また世間一般もこれ等の事情を知って居りますので、もし百貨店に商品を納める店を見ると「あの店も売れなくなったと見えて、百貨店で売ってもらうようになった」と、解釈するので、たちまち信用を失ってしまいます。

    大建築物の家屋は市の財源

 なお、彼の地の百貨店が横暴ぶりを発揮し得ない一原因として、家屋税の一項を加えることが出来ます。英国では家屋税が非常に高い。すべて家賃の三割という高い家屋税を徴収して、市の財源に当てて居りますゆえ、百貨店の如き大建築物になると家賃の評価が非常に高く、その高い評価の三割の税を課せられるので、百貨店の如きは何千万円もの商いをするにかかわらず、あまり安売りをすることが出来ない。ここが日本と異るところで、日本の家屋税は百貨店に甚だ有利であります。沢山売れる百貨店においては、一個の商品の負担する家賃は甚だやすいのであります。

    大商店に重く小売店に軽い課税

 次に所得税においても彼方では大商店に重くして、小商店には非常に軽い合理的な社会政策が実行されて居るので、小商店等は対抗上非常に有利の立場にありますが、我が国では反対で百貨店は実際上軽い所得税を払い、かえって小さな個人商店等が帳簿の不備のために、実際に欠損があった場合でも、総売上金の一割何分を所得として課税され、意外の重税を負担することになり、ますます百貨店の圧迫を蒙るようになります。
 彼方の百貨店の食堂では十銭十五銭等の安い食べものなどは売っていない。十銭くらいの食物を立派な百貨店で売っては、原料がただでも引合わない、そこで彼方では弁当なども最低一円くらいで、それ以下の安い食物は裏店見たような小さな家賃の安い店で売っているといった次第で、百貨店といえども値段を安くして個人商店を圧迫するような横暴は出来ないのであります。
 ゆえにただ一つところで何でも買えるという便利以外に他の店と競争する特点は百貨店として持っていない訳で、百貨店ひとり栄えることも出来ず、個人商店も圧迫されずに共に繁昌して行くことが出来るのであります。

    商品切手は紙幣類似

 なお、日本百貨店の有する強力な武器として特に偉大な勢力を持って居るのは商品切手であります。西洋ではクリスマスとか近親の誕生日とかだけにのみ贈り物をする習慣であって、日本の如く他人の家を訪問するごとに御進物を持っていくようなことはないのであります。
 私がロンドンの某百貨店支配人に会った時、ついうっかりして「商品切手の御発売高は」ときいたので、この人は不思議そうな顔をして、「商品券とは何ですか」とあべこべ[#「あべこべ」に傍点]に質問されました[#「質問されました」は底本では「質問されした」]。まよって日本では商品切手なるものが非常に流行していると説明したところ「商品切手? 紙幣じゃありませんか。そんなものを贈り物にしたら貰った人が怒るでしょう」と云われたのには赤面しました。
 西洋では紙幣と同様に見られて居る商品切手などを贈り物にすると、一種の賄賂と認められます。それで百貨店も発行せず、また法律も、紙幣類似としてその発行を許可していないのであります。
 私はかつて百貨店の発行する商品切手に対抗する一手段として、東京一流商店連合商品切手を発行する事を計画したところ、このことが早くも都下の新聞に書かれた結果、所轄警察署や警視庁あたりから急に刑事が来られ「そんな商品切手は内務省で許可しない故計画を中止しろ」と、まだ願書も出さず、一流商店の顔合せもしないうちに圧迫を受けて、ついに計画を中止するの止むなきに至ったので
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