社では少年社員に休み時間を十分に与えずに永く使うそうだし、ある婦人雑誌でも社長が時間を超越して頑張っているので、社員達はオソレをなしているそうだが、使う方ではそれで能率が一段とあがっているつもりで喜んでいるだろうが、真剣に働く真面目な者にはとても勤まるものではない、だから真面目な者はやめてしまって要領のいい人間だけが残ることになる。そして三時間で出来る仕事を一日中引きのばしてみたり要領よくサボったりする。これはむしろ当然のことである。使う方になってみれば永く店に頑張っているのも面白かろうが、使われる方ではやりきれぬ。そこは使われている者の気持を汲んでやらねばならない。むやみに長時間コキ使うことは発展性のある真面目な社員を逃がして要領のいい人間しか集め得ないで、大局的に非常な不利に相違ない。もう一つ、雇人の四十人も使っている大きな店の主人公の話であるが、この人がまた粘り屋で毎日十一時すぎまで店に頑張っている、そこで雇人の閉口していることはいうまでもなかろうが、御家庭の奥様までコボしているありさまだ。この人は店の仕事に自分が手を下さぬと気が済まぬ、人に任せておけない性分なのである。まことに責任感の強い商売熱心には敬服するが、それで能率があがっているかというに事実は反対だ。主人がちょっといないと、あれも出来ぬ、これも分らぬという訳で、その間雇人は手をあけて無駄をしている。とにかく非常に不利である。だから主人は雇人を信頼して大胆に任せることは任せてしまわねばいけない。大将がいないと兵卒は一歩も動けぬようでは軍は負けである。」
「店員を叱ることがありますか」
「私は店員など叱ったことはほとんどない。それでもどうしても主人である私が叱言を言わねば納まらない場合には、まずこれまで本人が行なった良いことを周囲の者に調べさせて置いて、その材料を基礎として本人の善行などを先にほめておいてから最後にその失策をあげて反省を促すというような方法をとっている。これは徳川家康が用いた方法を学んだのである。家康は流石《さすが》に徳川三百年の社稷を築いた傑物だけに、人心収攬の妙を体得した人物であった。家康が部下の失策を責める場合にはまず最初にその者の勲功をほめておいて「かほどのてがらをたてながら今回の失策は汝のために惜しむ」といった筆法で訓戒を与えたものだそうだ。部下は己の小功でも認識してくれる明君に心から感激し己れの非を悔いるとともに、この君ならでは……馬前に死すという忠節を致したのである。ところが信長のように怒髪天を衝いて真正面からその非を荒立てて責めるというやり方では、結局本人の反感を激成するばかりだ。ついには家来のために殺されるというような破目にもなるので、この叱言ということは些細のようだが大切なことである」
「支店を絶対に出さないという主義はどういう理由です」
「中村屋が支店を出さぬということはべつに深い理由はないが、小売商過多の業界へ支店など出来るだけ出さぬ方がお互いのためだと考えている。例えば百貨店などにしても、地方へ支店を出して尨大な建築や近代的設備に莫大な金を投じているが、多くは算盤がとれていまいと思う。多少算盤がとれている支店があったにしても当然本店へ行くべき客を分けて貰っているので、ようやく赤字を免がれているという支店もある。デパート全体にとって支店はあながち有利なものでないと思う、しかもそれがために地方の小売商人などはどれだけ苦しんでいるか分らない。とすれば結局己れを利せず人を苦しめている外何物もない支店政策は、無駄な投資だと思う。我々にしても、いまでも田舎廻りの役者でもあるまいから檜舞台へ出て見たい気もするが、さて銀座あたりへ出るとなれば二三十万の金は用意してかからねばならず、それを投じたからといって果して収支償うかどうかが疑問である。しかも既存の同業者に与える打撃も相当多かろうと思う。かように考えると、いい加減で仏心をおこして、余り勢に乗じない方がよかろうと思う。」
「いまの小売商は救われて行くと思われますか、またデパートについてどう考えられますか」
「古いありきたりの行き方をしていたのでは小売商は衰滅するよりほかあるまいと思う。何しろ小売商人は多すぎる。小売商の平均売上高は一ヶ年五千円弱ということだそうだが、一日十五円程度の売上ではなかなかやっていけない。そこで娘を働きに出すとか、内職的にやるとかしてどうにかやっている。それがまた商売に積極的に身を入れない理由にもなるわけで、日本の小売商の進歩しないゆえんでもある。米国の小売商売は日本の約五倍くらい売っている。日本の小売商、ひいて中小企業であるが――これらの前途にはまた多くの困難が横たわっている。その一つに百貨店とか産業組合とかいう大資本のものが、それぞれ自給主義をとって行くということをあげることが出来る。だからといって小売商人の前途をむやみに悲観する訳ではない。小売商人は経費の節約によって百貨店と対抗して行くことが出来ると思う。百貨店のあの設備その他では売り上げの二割五分の経費はどうしてもかかるのであるから、そこを小売商は徹底的に切り詰めて対抗して行けば行けると思う」
「百貨店などは純益課税で、小売商人は売上高標準で税金を課しているといったやり方では担税能力から見て非常に不公平のように考えられる。つまり力のないものが、余計に重荷を負わされているという傾向があるように思うが、この点については」
「その傾向はたしかにある。だから売上高の何分というふうにして累進課税を課す方が案外公平かも知れない。私の目の子勘定だけでも百貨店を入れて一億二千万円程度の税収入はある見込みである。ともかく一番苦境にある小売商人の税負担を軽くして販売経費を幾分でも低下させてやることは、衰亡途上にある小売商に活を入れるゆえんだと思う。」
「小売商の経営上について、例えばショウ・ウインドなどにしても日本の商店がいたずらに外国模倣式でギコチない感がするが、外国ではショウ・ウインドなど廃してかえって売上げを増している店があるということですが、それらについてのお話を聞かして頂きたい」
「元来ショウ・ウインドというのは、外国が初めでもなんでもない。日本では天ぷら屋など昔から店さきで揚げていて、匂いと実物で客を吸収している。これは立派なショウ・ウインドである。建具屋が店頭で仕事をしているのもその一例である。ところが近来どこの商店でも飾り窓などに馬鹿な金をかけることが流行で、狭い間口の店まで貴重な売場面積をショウ・ウインドに占領されているようだが、あれなどは考え物だと思う。かえって実物をただちにお客様の手にとって見られるという風にした方が、効果的だと思う。それから経費の節減ということで思いついたが、私の店で包紙に非常に金がかかるので調べてみた。ところが二十銭の折も一円の折も同じ包装紙を使っているというようなわけで、包装紙だけでも二十銭の場合だと一割もかかっていたが、これをそれぞれ相当の包紙を使用することに改めて経費の節減を計った。さすがはこういう点ではデパートは進歩したもので、コスト販売経費などはなかなかよく研究している。売場のカウンターの高さとか通路、照明の具合などは我々はデパートに教えられるところが非常に多い。接客のサービスとか、仕入れだとか、デパートに教えられる。こうした不断の研究を怠たらぬことが肝要だと思う。現在の小売商はデパートに較べると著しく進歩がおくれている。これは研究して経営を合理化して行かねばならぬ事と思う。」
「中村屋の繁昌ぶりでは一ヶ年の売上高も相当巨額なものでしょうし、従って純益も莫大なものでしょう」
「昨年度の成績だと百二十二万円ばかり売っている。そうして利益は六万九千円ばかりになっているから、割合にすると売上高の五分七厘くらいである。この四月は製造高が一二万円で店売りが十三万円ばかり、まあ菓子の売上高としては日本でも指折りの方であろう。これは何もかくす必要もないのでサラケ出しているが、税務署から調べに来て売上高の多いのには驚いていたが、それにしては利益が少なすぎるというので、どこかにかくしてあるだろうということであった。そこで私はスグ店員を四方へ走らせて東京で第一流の菓子店と百貨店などから私の店で売っている品と同様のものを買い求めさせて、お役人の目の前で秤にかけるやら食べてみるやらして試験してお目にかけた。ところがその結果私の店のものが平均して一割四分方他所のものより安いことが証明された。
『これではむやみな利益は生れる筈がない』という訳で納得されてお役人は帰られたことがあった。商売というものはやりようであるから、儲かるようにすればいくらでも儲けられる。しかしそれでは永続して繁昌はしない。結局薄利多売で行く方が身体は忙しいが気持がよい。またそれが商売の常道である。よくて安い品を気持よくお客様に買って頂き、お客様に喜んで貰うことが吾々の勤めなのである。」
一商人として欧州へ
国際状態も甚だしく変化しているので昭和三年三月神戸を出帆。約四ヶ月間欧州諸国を歴遊した。その目的とするところは西洋における実業界、主として個人商店の経営法の研究であった。今日においては欧州の事情も変化し、当時とは経済状態も曩日の観察をもって今日を卜することの迂愚なることはもちろんであるが、経済的歴史事実は中断されるべきものでなく、また昔日の考察も今日の日本の状況に照して多少|肯綮《こうけい》を得る点なきにしもあらざると思って掲載するのである。
今回の旅行は、欧州に留学中であった長男及び娘を連れ戻しに行ったのが主で、そのついでに、欧州諸国に寄り道した程度のものであるから、まとまった研究などではありません。
今までの旅行と違った点
ただ、私の今回の旅行は、今までの沢山の旅行者と幾分違った点があると思います。
従来彼方に行かれた人々は、留学生とか、大学教授とか、その他政治家、あるいは大工場主というような立派な方々ばかりで、私のような小さな一商店主が西洋における商業の実際を調べに往ったのは、私が嚆矢《こうし》ではないかと思います。こうして今一つ私が少しく調べて来ましたのは、百貨店の大発展についてであります。この事は近頃、新聞雑誌等でも問題とされて居りますことで、すなわち近年の大不景気に際会して、一般商店は大概一割二割の売上げが減少して居るにかかわらず、ひとり百貨店のみは年々売上高が増加し、前年よりは必ず多くなっていると云う有様で、もしも景気がなおったならば、どのくらい発展するかわからない。彼方に一万坪、此方に五千坪と、隣り近所に大きな百貨店が続出するという有様では、一般小売商店にとっては少なからぬ脅威であります。
これについて、先進国である欧州においての百貨店の営業振りと、これに対する個人商店の対抗振りとを、ついでに見て来たいと思ったのでありました。
彼の地における大使や商務官方のお話によりますと、東京の百貨店ではたいがい視察に来て、白木屋からは四人連れの一行が来られた。また三越なんかは前後何回も来て居られたが、小売商店の方で研究に来られた者はいまだかつてないという事でありました。よってそれらの研究をお話したらば、多少は御参考になるかと思います。西洋の立派な建物を見たり、ローマの都で、一度に千八百人もはいる浴場の跡を見たり、あるいは巴里のグランド・オペラで三千人の美人が一堂に集まる、というようなありさまとか、風俗とかは誰でも見たことであって、いまさら私が申し上げるのでもなく沢山紹介されて居りますゆえ、これらの方面のことはいっさい省略しますが、順序として旅行最初の印象をちょっと申し上げたいと存じます。
海上四十日間の所感
上海を経まして、それより英領の香港、また英領のシンガポール、また英領のセイロン島等に寄港し、続いて立寄ったエジプトもこれまた独立国と云うのも表面だけで、やはり英国の保護国であるようなわけで日本を出でてより海上四十日間、ことごとく英領をすぎる。その英領はみ
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