遊び半分という様では能率は上がりません。
 こういう風にすると、製造部、整理部、配達部が調子よく、しかも楽々と仕事がはこぶ。愉快に順序よく仕事が出来るようでなければ、経営がうまいとは言われない。
 特価販売などすると、その日だけはよく売れるが、他の日はずっと減る。あまり過重な労働の次には必ず疲労と倦怠が来る。結局差引商売だけの経費が無駄になるわけである。
 しかしこれがなかなか難しいことで、ちょっと目先にうまい儲けがあると、つい欲につられて無理なことをする、またせっかく決心したことでも少し思うようにならぬとぐらつく。この邪念をじっと押さえつけて行くだけの腹を持たねばならぬ。私の店へ、よく学校の運動会に売店を出さないかとの話がある。他所の人は喜んで応ずるようだが、私は出来るだけ辞退する。なるほどその日だけは学校の売店では儲けがあるかも知れぬ。しかしそのために無理をし、他の日の能率があがらないために、結局損になってしまう。ましてそのために大切な自分の店の方をおろそかにして、お得意に迷惑をかける様ではなおさらのことである。

    繁昌のコツとは何か

 良品を廉価に売りさえすれば繁昌するは当然の成り行きでありますが、なおそのほかに繁昌に大切なる一つのコツがあります。
 そのコツたるやきわめて簡単なるものなれども、それを知ってもこれを行う者が少ないのでせっかく良品を廉く売りつつも繁昌の妙域に達する者が案外少ないのであります。
 それは何であるかと申しますと、商品はすべて内輪に製造するということであります。たとえば百円の売れ行きはあると思っても、雨天その他第一の故障に備えてその八掛け、即ち八十円の製造に止めることであります。そうして如何なる場合においても売れ残り品を作らないことであります。
 商売を内輪にし毎日早く売り切れとなれば、客はこの店の品は常に新しいとしてますます愛好されるものであります。
 然るに遅く見える客を空しく帰すは如何にも惜しいと考えて少しでも余分に作るのが人情の常であります。もしこの余分が幸いに売り切れれば結構でありますが、三日に一度ぐらいは売れ残りとなります。
 これを売れ残り品は捨てるに忍びず、明朝蒸し返しては造り直して客に勧める。これを求めし客の信用は当然に失落するのであります。
 私の店ではその日に売る生菓子は常に午後三時のお八ツまでを限りに売り切るように製造致します。たまたま臨時の注文等に接すると、正午頃売り切る事もあります。かかる際は御客様に申し訳ないと思いますが、これくらいに内輪にしても烈しい夕立の日等は往々にして数十円の残り品の出来る事があります。しかしこれは一年中に二、三回に過ぎませんので、この機会に日頃お世話になる銀行や、郵便局、育児園等に贈呈して決して明朝に持越さないのであります。
 これが私の店の繁昌の最大原因と信じております。
 この際に喫茶部を経営される方に一言呈したいことは、やはりこれと同種の理由にて計画は平日を標準として、少しく内輪にすることであります。近くに野球場があるとか、祝祭日とかにて平日に倍する客のある事を目当てに手広く設計する事は絶対にしてはいけません。午餐時か夕食頃のごとく来客の混み合う時には少しく手狭を感じて一部の客を御断りするくらいが最も適当の設備というものであります。
 古来より大料理店等が近来の小さいレストランに押され勝ちな事はこの理由であります。大料理店は婚礼や大宴会には好都合でありますが、平常は大屋台を冠って多数の雇人を遊ばしておくのが多いので、毎日経済の平均のとれるレストランに対抗出来兼ねるのであります。
 総じて何事によらず八分目なるがよろしく、この心掛けさえあれば繁昌疑いありません。

    店員の教育方法

 私が餅菓子を始めた当時、某有力菓子店の主人から、職人の給料は薄給なこと、そして問屋から歩合やコンミッションを取る悪弊があること、店の商品や原料を持ち帰ることは公然の秘であることを聞かされ、私は断然この弊風を根絶しようと決心した。
 そこで私は月給を従来の二倍かにして、その生活安定を計る一方、店の規律をきわめて厳重にした。しかし長い間の習慣というものは恐しいもので、なかなか改まらなかった。ようやくこれは根絶し得た。
 そこで、店員待遇法はどうしているかというと、妻帯者には三割、子供一人増すごとに一割、両親あるものには二割を増している。またこれは給料ではないが、店員の食事にずいぶん注意している。食事というものは些細なことのように考えられやすいが、非常に大切なことだ、並以上のものを食べているという自覚は、大変その人格に影響を与えるものである。
 無論私は店員と心の接触をするように心がけている。例えば四季折々の年中行事を必ず行なって家庭的な暖か味を添え、店員の誕生日には親代りとなって祝ってやる。
 給料はなるべく多くするが、小遣いは少なく、そして貯金を強制的にさせ、また一方食事をよくし、住居も清潔にして、身心を浄めて真面目な生活をさせるように導くことが、私の店員教育の骨子である。

    商売の独立性とは何か

 世の中の商売を見ると実に千種万様、数限りなく沢山あるが、さてその中から何商売を選んで将来自分は世に立って行こうかということになると、私に言わせれば、まずその商売自体が現在の時世に適合していて、儲かるというよりも、その商売を社会が要求していて永続性があるかどうかと言うことが商売選択標準にならねばならぬと思う。永続性があるかどうか、ということは言葉を換えて言えば、その商売に独立性があるかどうかと言う問題に帰着する。独立性とは説明するまでもなく他に依りかからず自分の独立でやって行けることである。そういうとあるいは反駁《はんばく》する人があるかも知れぬ「今日の商売で他に依存せずにやって行ける商売があるか、皆他人様の力によって行けるではないか」と、なるほどいちおうはもっともな理屈である。しかし、私に言わせれば、等しく他に依存するといっても自から区別があると思う。それはある特定の少数のものに依存するものと、広い世間一般に依存するものとである。そうして前者の場合であると、少数の支柱によって支えられているのであるから、そのうちの一本が欠けてもすなわちその商売の存亡に関係して来る。こういう傾向の商売を私は独立性が少ない商売だと言うのである。
 これを植物に例えて言えば藤や蔦の如く、藤は如何にも立派な花を誇り天高くのびても、松とか欅とかに依りかからなくては花を咲かせることが出来ない。結局、藤は藤である。これに反し例え小さな松の木でも、それは立派に独立した樹木である。自分の力で地から栄養分を吸収し、天から恵みを享けて年一年とわずかずつにせよ大きくなって行く、そうして、子や孫の代にはいつのまにやら天をも摩する巨木に成長するのである。そこで我々は現在携わっている職業が、この松の行き方をしているか、あるいは藤の真似をしているかということについて、深く省察して見る必要があると思う。

    必ず約東は守る

 古い話ではあるが、各地に新聞の専売店のなかった頃は一軒の新聞屋で各種の新聞を扱っていたものだ。そこで新聞社は自社のお得意を一軒でも余計に拡張して貰いたいために、競ってその販売店に礼を厚うしたのだ。おかげでボロい収入を得ていた新聞店は実に羽ぶりをきかせていたものである。ところがその販売店の尽力によってその地に各社それぞれ相当の地盤が出来た時分にA社もB社も専売店を作ってしまった。そこで今までの販売店は商売があがったりになった。すなわち永い間新聞社の踏台に使われていた訳である。こういうときにそうした将来のことに気もつかないで現状に安閑としていたら、まことに迂濶なことだと言わねばならぬ。また当時私どもと同じに菓子の小売店をやっていた人の中で、デパートに品物を納めていた連中は、割合にらくをし金まわりもよかったので、自分の店の小売の方など一向に身を入れず、得々として肩で風をきっていたものである。その頃私など粉だらけになって※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]コをこねたりしてみじめなものであった。ところが、その連中の間に猛烈な競争が始まってメチャメチャに値段を崩しはじめた。おかげで利益を得たものはデパートばかりで、品物を納める側はサッパリ儲らない。そこで頭のよい人は従来と同じ材料を使って、全然見た目の新しい菓子を製造し、そして儲けたものだ。ところがまたそれにも競争者が現れるといった具合で年中セリ合って闘っている。その内に百貨店の方では製造方法などスッカリのみこんで、いつの間にか自営工場を作ってしまった。そうなると今まで品物を入れていた甲も乙も立ち行かなくなってしまった。これなども菓子の小売店としての将来性にめざめないで一時の利益に眩惑していたからだと思う。
 かつて私の店でもあるデパートへ菓子を入れていたことがあったが、ある事情で断然やめてしまった。それというのはデパートではお菓子の売れ残りは返品としてよこす習慣があるが、ちょうど私のところへもロシヤのチョコレートを入れて欲しいという交渉を受けた。私は商品の性質上返品は一切しないという条件ならば応じましょうと返事してやった。先方はそれは困るということであったが、それなら止めるばかりだとこちらが強硬に出たので、特別ということで返品なしの契約で取引を開始した。そうして毎月千数百円を売って貰った。ところがそれから半月ほど経って、二ヶ月ほども売れずにいた七円五十銭だかの折を返品してよこした(中村屋の菓子の容器には製造日付がある)。そこで私どもの番頭は返品は一切受取らぬ契約であるが、何しろ相手は月に莫大の得意であるので、一つぐらいという訳で受け取ってしまったものである。たまたま私はこれを発見したので、どういう訳かと番頭を詰問すると番頭は前のような弁解で案外平気でいる。そこで私は取引の約束を無視したやり方に憤慨し今日限り品物を入れることをお断りすると通告し、かつ重大な取引上のことについて店主の指揮をうけずに無断で規則を破った私の店員に対し、かわいそうではあったが泣いて馬謖《ばしょく》を切ってしまいました。これはいかにも人情味のない頑固なやり方のようだが、私は店是というものを国の掟の如く峻厳なものにしておきたいという私の主義と、一つは前にも述べた如く人に縋らずに独立不羈で商売をやって行きたいという信念からであった。

    器用貧乏

 器用貧乏……私の店が相当繁昌し出した頃、遠縁に当たる男が店を手伝ってくれていたことがある。この男は何をやらせても一人前、これが出来ぬということのない器用人であった。それで私のやることがまだるっこくて見ていられない。ときおり「大将くらい信用があれば私なら店の売上を倍にして見せる」といっていわゆる髀肉の嘆をもらしてみせたものである。そうして、相変らず遅々としている私にシビレをきらしたというのか店を飛び出して独立旗上をした。ところがそれが幾年もなく失敗してしまったのである。この男の失敗の原因といえば己を過信したからだと思う。いくら実力があってもまた資本があっても信用というものは時期が来なければつかないものである。にもかかわらず、この男はスグに信用が獲得出来ると考えていたところに失敗の原因がある。
 当時私がそうした自惚れの心を起こし、森永や明治の向こうを張って一つ資本金一千万円の大会社にしてやろうなどという野心を起こしていたならば、あるいは今日の中村屋はなかったかも知れない、結局私は不器用でいわゆる、馬鹿の一つ覚えで、与えられた日々の仕事につとめて来たことが今日あるを得たものと思っている。世の中にあんな才物がどうして成功しないかと不思議に思われるような人物をしばしば見受けるが、どうもこういう人はおおむね己の才に恃んでかえって人に利用され、結局器用貧乏で一生を終わることの多いのは、本人のためにもまた、人物経済上からもはなはだ遺憾なことだと思う。[#地から1字上げ]昭和十一
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