ょっとなるほどと思いましたが、よく考えて見ると、その無駄と思いし事がこの宿が特に繁昌する基だったんです。信州の温泉は自炊しながら逗留している客が多いので、寒い朝火の起った炭の豊富なるサービスは特に有難く感じるわけで、金額としては僅かの炭八十俵が資本となって、他の店の及ばぬ大繁昌を招来したのに間違いないから、それを無駄などと考えては大変ですよ、と注意しますと、
 主人はこれを聞いて、しばし黙していましたが膝を打って、
「なるほど早速帰って妻を監督せねば一大事だ」
 と言うて立ち上りました。
 総じて婦人がこの細か過ぎる点さえ注意するなれば、男子の及ばぬ成功を収むるのであります。

    理想通りにゆかぬもの

 早稲田の商科のある先生が「理論ばかりでは駄目だ、実地においても人に教えなければ」
 というわけで、もうかなり前の私の本郷時代であるが、浅草のあるところに小間物屋を開いた。その店の特長として、その先生が力説された点は次のようなものである。
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一、繁華な浅草に近いこと
二、近所にあいまい屋がたくさんあること
三、吉原への近所で人通りもかなりあること
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 しかしこの先生の前記の主張にもかかわらず、その店は繁昌せず、僅か三、四カ月にして閉店の悲運に到達してしまった。
 私は当時、こういうことは非常に興味を持ったので、開店と聞くやただちに、家内をつれて視察に出かけた。そしてこれはせっかくの先生の勇敢なる試みではあるけれど遠からずして駄目になるだろうと思った。その理由とするところは、
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一、人出の中心から離れている
二、夕日がさす
三、直ぐ近所に有力な競争者がある
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 西陽がさすと、店頭に陳列してある品物が二三日にして変色し、ローズになることが多いのである。
 私の予言は不幸にして的中した。新開店に当って最も注意すべき点は、長い間の経験によると、場所がその辺の同業者より勝れているのか、でなければその他の条件で、非常に客を惹きつける力があるのでなければならぬ。

    広告は考えもの

 世界中での広告の旗頭は米国だ。これは誰でも知っていることだ。その次は日本である。これは考えなくてはならぬことである。
 なぜ米国はあんな大げさな宣伝をするのか、米国は新開国であるため、長年の歴史によって世人を信用せしむる老舗がない。よって人を信用せしめ、自店の存在を知らしめるには勢い宣伝によるほかない。ところが欧州になると国が古いだけに、老舗というものが至るところにある。これらの店は別にそれほど広告をしなくても、長い間の暖簾《のれん》で人が買ってくれる。したがってそれほど広告が重要ではない、それゆえまたそれだけ物が安く売れるわけである。その代わりかけ出しの店がこれと肩をならべて行くことは容易ではない。宣伝すればするほど広告倒れとなって競争しずらくなる。
 米国においても宣伝費は結局価格に転嫁されて、それだけ高くなりはしないかとの疑問が出るのであろう。しかし米国は大国である。市場が大きい、広告費は大量生産による生産費の引下げによって相殺される。
 鵜の真似をする烏、日本の広告万能主義の人々が当然うくべき名前である。

    配給費のこと

 欧州では牛乳が安い。すべての物価が日本に較べてはなはだ高いのに、ひとり牛乳が特に安い。私はこの原因をつきとむるべく皆の寝ている中にホテルを飛出した。なるほど安いわけだ、大量生産のため安いことはもちろんであるが、配給法がうまくいっている。互いに協定配達区域により、人の領分を犯さない代わり、他人からも侵されない。従って配給費が非常に安くつくからだ。私の伜がハイデルベルヒの小高いところに下宿していて、牛乳を毎日一本ずつ届けるように頼んだところ「貴方のところは高き所ゆえ届けるには不便だから配達は致しません。取りに来て下さい」ということで、やむなく毎日下の牛乳屋まで取りに行った。
 日本では牛乳屋同志の競争が激しくて、本郷の牛乳屋が糀町へ侵入したり、また逆に糀町のものが本郷の方へ出かけて行く。それでも数がまとまればよいが、一本でも二本でもとどける。
 私の店ではこの点を考えて、午前午後の二回しか配達はやらない。このため浮いた金額は勉強の方へまわす。薄利多売主義のためにまわす。この二回以外にたって配達してくれという場合や遠方の配達に対しては、実費として電車賃往復十四銭をいただくことにしている。よく宮家からも御注文をいただくが、やはり電車賃はいただいている。私は電車賃を請求しても、これに要する手間だけは御客様へのサービスだと考える。私のところで奉仕パンと称して品質を非常に吟味したもの――これは私が我が国にパン食を普及せしめたいという抱負もあるので――一本三十銭の原料代で売出している。これは絶対に配達しない。近頃ではお客様の方も私の精神をよく理解して快く自分で持ち帰って下さる。長年の得意で心安い奥さんなどは「欲と二人連れとはこれをいうんでしょう」と快く二、三本抱えて行かれる。
 我が国では遠くの方から注文があると名誉と心得て、炭一俵、牛乳一本の注文でも喜んで持って行く店があるが、その間にかえって大切な近所のお得意さんを他の店に取られるといったようなことになり、結局においてかえって損をすることとなるのであります。

    たとえ岩崎でも

 いまは商売をやめたが、本郷切通しに山加屋という東京でも一流の呉服屋店があった。ここの主人はなかなかしっかりしていて、店の主義として外交販売を一切しなかった。切通しといえばすぐ近所に岩崎があり、前田侯爵がある。山加屋は当時にあっては有名呉服屋だから、この両家で品物を持って来て見せろという。主人は応じない。こうして主人が言うには「何百円何千円買ってくれる人も、五十銭、一円の方も私に取っては同じくお客さんです。一方にしないことを他方にするというのは私には出来ません」とのことであった。昔の商人にもこの見識家がありました。今の商人はあんまり客に対して権威がない、この主人の言に学ぶべきことが大いにあると思う。

    顧客の教育

 何もむずかしいことではない。自分の商売を通じて充分客を教育することが出来るものだ。
 我が国は英国等に比して洋服が非常に高い、たかい訳である。注文があるとまず寸法を取りにお客の所へ出かける。二三日すると仮り縫いというやつでまた出かける。出来上がるとお届けにまかり出る。届けたはよいが金がとれない。再び出かけて行く、今日は駄目だ、また出直してこいといった調子、しかもこの寸法取りに出かけて行くには小僧では間に合わない。腕のある人が行く必要がある。勢い高くならざるを得ないではないか。
 英国では洋服屋は決して客の所へ出かけて行かない。大家の旦那であろうと、大会社の重役の注文でも、客の方から出かけて行かなければならぬ(ただプリンスの御注文だけは洋服屋が参向することになっている。但しこの場合出張費と自動車代とを請求するのである)。これだから安いわけである、我が国において洋服を高くするものは、洋服屋の無自覚と、自尊心がないためである。換言すれば客の教育が出来ていないためである。
 震災直後、昌平橋際に昌平橋食堂というのが出来た。一日私はここへ昼飯を食べに行ったことがある。朝食十三銭、夕食十五銭であったように記憶している。が、気付いたことは代金の割に非常に品質が吟味してあり、来ている客が礼儀正しく、静粛であったことである。私はこれはどうした訳だろうといろいろ詮索した。よく聞いて見ると、ここでは月々三百円位の欠損をしているが、この金額だけは市の補助を仰いでいたとのことである。この事情、普通の営利主義の食堂とこと変り、ただ客の便宜を計る外に他意がないものであるという事情を客がよく知ってかくも静粛であり礼儀正しいのであるという話であった。これは特別の場合であるが、普通の商店でも客のための真の利益を常に念頭におくことによって顧客教育は完成される。

    顧客について

 私の店が本郷にあった時分こんなことがあった。店第一の得意である某病院長の邸へ、月末掛けを取りに行った店員が、たったその家一軒に夕方近くまでかかって帰って来た。私は一途に、彼が怠けていたものと思って、帰って来るなり叱りつけたものである。私の見幕が激しかったものだから恐れ入るものと思っていたところ、その店員は不興顔に「旦那それは無理です」という。段々とわけを聞いて見るとこうだ。掛取りには昼頃行ったのだが、いま奥さんはお客さんとお話中だからしばらく待ってくれという事であったので、やむを得ず待つことにした。その時己のほかにも掛け取りが十人くらいたまっていた。一時間経ち、二時間経ちお客様も帰ったような気配にもかかわらず、当の奥さんなかなか出て来ない、そのうち奥の方で「どう皆揃ったかい……それでは払って上げようか」と話声が聞こえて、やがて奥さんが現れた。「では皆さんお払いしますよ、おつりのない人はおつりを持ってもう一度来て下さい」と、手の切れるような十円紙幣を勘定の高いかんにかかわらず、手渡した。店員がいうには「私はちょうどよく釣り銭を持ち合わせておりましたからそれでも今頃帰られましたが、持っていなかった連中は今頃また出かけて[#「出かけて」は底本では「出掛かけて」]行っているに違いありません」とのことであった。
 私はこの話を聞いて非常におどろき、そういうことでは明日から御注文に応ずることは出来ぬから、注文があってもお受けしてはならないと、店の者皆に言い渡した。店では「一番のお得意様で惜しいではありませんか」と私のやり方に反対するものもあったが、私は断然初めの所信をまげなかった。
 その翌日、翌々日と、持って来いとの注文があったが、「ただ今そちらの方へ都合がありませんからまことにお気の毒ですが」という調子で、いつも断ってしまった。こういうことがたび重なるにしたがって、電話の注文も来なくなった。ところが、今まで来たことがない肉屋の小僧が来て、大きな買物をする様になった。はておかしいなと思って、小僧にわけを尋ねて見た。「いや貴方のお店で○○さんの注文をお断りになったので私の方へとばっちりが来て困りましたよ、今も○○さんの所から電話で、中村屋さんのパンを買ってとどけてくれというので、今うかがったわけです、お蔭で私の所の用事が倍になりました」とのことであった。
 いくらお客様でも、そのやり方が不合理な時にそのわがままを許さないというのが私の主義である。

    よい商品が最上の奉仕

 仕入は全部主人がせねばならぬ、それは主人が商品に対して絶対の責任を負わねばならぬからである。他人任せでは往々にして二流品が一流品として仕入れられ、それが一流品として客に渡されすなわちお客を欺瞞する結果となる。そうなると店の信用にかかわり、売れ行きが悪くなる。お店は素人故に何もわからないなどと思うと天罰|覿面《てきめん》、必ずその影響があらわれるものである。
 私は毎月一回市内外の同業者並びに百貨店の調査をしている。そして最も勉強する店の商品の品質と目方と自店のものとを比較対照して、どこのどんな小さい店でも、自分のところのものよりいいものを安く売っているとすれば、飽くまで研究して行く。
 また春秋二季には、京都、大阪、神戸方面から北海道方面に調査に出かける。朝鮮方面まで出かけたこともある。そして他より優れていると自信が出来るまで努力する。
 かくして私の努力と研究は、みなこれをお客様に万遍なく奉仕しているつもりである。全生命を打込んだ奉仕の結晶が私をして今日あらしめたものであり、それはまた同時に私の商業道である。

    能率の平均

 営業能率をあげるに最も重要なことは、人一人の能率をあげることである。能率をあげるには毎日の能率を平均して発揮せしむることが一番よい。ある日は目が回るように忙しく、ある日には
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