ここに大いに我々の考えねばならぬものがあります。
 まず初代は、幾多の困難に打ち勝って漸く一家を成したのですから、金銭に対してもその価値を知っていて、同じ使うにも使いどころをわきまえている。たとえ零細な金でも無駄な支出はしません。そうして日常つつしみ深くあるとともに、業務の方では使用人と一緒に働いて、苦楽を彼らとともにする。それゆえ使用人も主人に親しみ、敬愛し、よろこんで職務に精進するのであって、この両者の持合が崩れぬ限り、家運はますます盛んであります。
 ところが二代目三代目となるとそうは行かぬ。三代目はさておき、二代目にしても、これは初代の子で創業の時代に生れているとはいうものの、青少年期にはすでに家業も盛んになって、それにつれて生活も拡張されているから、家には女中あり下男ありで、不知不識に我儘を助長される。無論高等の教育を受け、またこの時代色であるところの旅行に、運動に、音楽に、芸術の理解も出来れば相当に享楽の道を心得て、知識も見聞もとうてい初代の及ぶところではありません。昔語りに親達の苦労のあとは聞くが、それかといって現在は現在で、衣食住は向上する。二代目としてはもう初代のよう
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