崎南湖院に入院――戸川秋骨先生、それに島崎先生は三人のお子を失われてから新片町へ移転されましたが、ともかく、そういう方々のよりあいで一時文士村と称されたものでありまして、また淀橋の櫟林の聖者としてお名のひびいた内村鑑三先生、その隣りのレバノン教会牧師福田錠治氏などが、その行商最初の得意となって御後援下されて、この文士村の知名の方々へも御用聞きに伺いまして、それぞれ御引立てに預かるようになりました。初めは一週に一度ずつ回ることにしておりました。するとこの救世軍の人が実によく出来た人で、頭のてっぺんから足の先まで忠実に満ち溢れている、というような、また時間を最も正確に守り、お約束の時間には必ず配達してお間に合わせるので、本郷中村屋のパンの評判が上がり従ってお得意も日に日に増え、一週に二度になり、おやつ頃にはよそからお買いにならずに待っていて下さるようになりました。
それがだんだんと広がり、千駄ヶ谷方面、代々木、柏木、と、もうとうていまわり切れないほど広範囲にお得意を持つようになった、すると今度はお得意様の方から「どうだ一つこちらへ支店を出しては」というお心入れで、私はそれをききました時は
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