どうしてもどこか有望な場所に支店を持つよりほかはないのでした。大学正門前のパン屋としては、私どもはもう出来るだけの発展をしていました。場所柄お客様はほとんど学生ですし、大学、一高の先生方といっても、パンでは日に何ほども買って下されるものではないと言って高級な品を造ってみたところで、銀座や日本橋――当時京橋、日本橋付近が商業の中心地でした――の客が本郷森川町に見えるものではなし、ここでは、たとえ税金の問題が起らなくしても、私共の力がこの店以上に伸びてくれば、早晩よりよき場所の移転の説が起らずにはいないところでありました。
救世軍の番頭さん
支店を設けるにしても、移転するにしても、これはなかなか冒険です。見込み違いをした日には現在以上の苦境に立たされることになりますと、その頃ある地方の呉服屋の次男で、救世軍に入ったがために家を勘当された人がありまして、日曜だけは救世軍として行軍することを条件として、店員の一人に加わっておりましたが、まずこの人を郊外の将来有望と思われる方面へ行商に出して見ることに致しました。
その頃大久保の新開地に水野葉舟、吉江孤雁、国木田独歩――間もなく茅ヶ
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