、すべてどこをどう目指してとお話できるようなものではなく、ただ自ずと来り結ぶ機縁により、ただその縁に従うて力一杯の努力をいたしますうちに、不知不識ここに至ったものであります。
 その機会というようなものは、いつも初めは一つの危機として来るか、あるいは一つの負担として現われました。開業明治三十四年、それから日露戦争の三十七八年までに、中村屋はまず順調に進んでおりました。どうせパン屋のことですから、華々しい発展は望まれませんが、静止の状態でいたことは一月もなく、売れ行きはいつも上向いておりました。それが小口商いのことですから、店頭の出入は目に立ち「あの店は売れるぞ」というふうに印象されたと見えまして、税務署の追求が止まずある時署員が主人の留守に調べに来ました。私はそれに対してありのままに答えました。箱車二台、従業員は主人を加えて五人、そして売上げです。この売上高が問題で、それによると税務署の査定通り税金を払ったのでは、小店は立ちいかないのでした。
 それでどこの店でもたいてい売上高を実際より下げて届け、税務署はその届出の額に何ほどかの推定を加えて、税額を定めるのでありました。私にはどうして
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