年十一月
新宿進出の動機
私が早稲田大学(当時の東京専門学校)の、現在で言えば政治科を卒業して、初めて本郷帝大正門前に開業したのが、今から三十余年前のことである。その時分営業税なるものが出来たが、それは滅法に高い。ある日、私の留守中に税務官吏が来て、家内に売上高と店員数を訊ねた。当時の習慣として何処の店でも売上高と店員数との申し立てはだいたい半分であった。ところが家内は、売上高も店員数も正直に申し立ててしまったものだ。
果たして営業税は以前の二倍を課せられることになった。私は当時、手一杯な生活をしていたので、営業税を増しただけ欠損を生じ、そのままで行けば閉店せねばならぬ破目に陥ったのである。この間の消息は愚妻の自伝的随筆集『黙移』――本年六月出版――中に彼女が詳しく語っている。
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さてこんな風にお話してまいりますと、何だかお菓子屋の立志伝みたいになって変なのですが、決してこれは立志伝ではなく、今日中村屋の店頭がいささか賑しく見えますのも、またパン屋というには少し複雑な内容を持ち、扱う品々に個性というようなものが見えると言われるようになりましたのも
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