ていわゆる髀肉の嘆をもらしてみせたものである。そうして、相変らず遅々としている私にシビレをきらしたというのか店を飛び出して独立旗上をした。ところがそれが幾年もなく失敗してしまったのである。この男の失敗の原因といえば己を過信したからだと思う。いくら実力があってもまた資本があっても信用というものは時期が来なければつかないものである。にもかかわらず、この男はスグに信用が獲得出来ると考えていたところに失敗の原因がある。
 当時私がそうした自惚れの心を起こし、森永や明治の向こうを張って一つ資本金一千万円の大会社にしてやろうなどという野心を起こしていたならば、あるいは今日の中村屋はなかったかも知れない、結局私は不器用でいわゆる、馬鹿の一つ覚えで、与えられた日々の仕事につとめて来たことが今日あるを得たものと思っている。世の中にあんな才物がどうして成功しないかと不思議に思われるような人物をしばしば見受けるが、どうもこういう人はおおむね己の才に恃んでかえって人に利用され、結局器用貧乏で一生を終わることの多いのは、本人のためにもまた、人物経済上からもはなはだ遺憾なことだと思う。[#地から1字上げ]昭和十一
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