といっても自から区別があると思う。それはある特定の少数のものに依存するものと、広い世間一般に依存するものとである。そうして前者の場合であると、少数の支柱によって支えられているのであるから、そのうちの一本が欠けてもすなわちその商売の存亡に関係して来る。こういう傾向の商売を私は独立性が少ない商売だと言うのである。
これを植物に例えて言えば藤や蔦の如く、藤は如何にも立派な花を誇り天高くのびても、松とか欅とかに依りかからなくては花を咲かせることが出来ない。結局、藤は藤である。これに反し例え小さな松の木でも、それは立派に独立した樹木である。自分の力で地から栄養分を吸収し、天から恵みを享けて年一年とわずかずつにせよ大きくなって行く、そうして、子や孫の代にはいつのまにやら天をも摩する巨木に成長するのである。そこで我々は現在携わっている職業が、この松の行き方をしているか、あるいは藤の真似をしているかということについて、深く省察して見る必要があると思う。
必ず約東は守る
古い話ではあるが、各地に新聞の専売店のなかった頃は一軒の新聞屋で各種の新聞を扱っていたものだ。そこで新聞社は自社のお得
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