員があるので、三十人以上だと顔が分らなくなるし、三十人ずつでも、八回から九回あつめねばならないからである。それも昼間は出来ないので、どうしてもうまく行かない。
 それで、何とか工夫しなければならないというので、店の喫茶室をあけて三つに分け、ちょうど十五六人ずつ三回にした。宅では弁松の弁当を取って食わしたが、今日は中村屋のカレーライスをやろうというので食べさせた。訊くと、店員の半分ぐらいは食べてないという。店《うち》の者がうちの食べものを知らないでは困るからというので食べさせたら、非常に喜んだけれども、もう九十人になると、宅へ来た時のように、いろいろ名乗るわけにもゆかないので、一利一害がある。
 自分の所は、前に述べたおかみさんの話ではないけれども、よほど気をつけないと、主人と下に働くものが上下になり勝ちである。主人はお父さんというようにならなければならぬ。私の方からは、雇人ではない家の子である。子供が二百幾人あるという気持でなければ、うまく行かない。その気持を徹底させるために、いろいろと研究している。
 食べ物などは、私の家より店員の方がよくなっている。うち[#「うち」に傍点]の伜は洋
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