のは実に彼らをして実世界に活動せしめず、かえって枯死せしむるものである。これがために彼らの出世の道はふさがれたるなり、試みに左の統計を見よ。
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高等実業学校卒業者の職業別
官吏[#「官吏」は底本では「官史」] 七
学校職員 三一七
官庁技術員 一、〇八三
民間技術員 一、七一三
銀行会社員 一七
外国政府及会社 一八
海外留学 一六五
大学院 一二八
自家営業 二八
兵役 一二八
死亡 二一七
未詳 四二一
合計 四、一八三
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すなわち自ら独立事業の経営に当る者、総出身者の百分の一にも当らないではないか。しかれども、もし彼らにして初めからこの資格などに重きをおかず、他の小僧や番頭連とともに店の掃除より使い歩き、または車をひいて配達するという下働きにも心から甘んじて従事する決心を持ち、根底から修養を仕直しするの覚悟があるならば、その人は必ず他日成功するに相違ないのである。この覚悟に実行が伴ってこそ、初めて、多年修めたところの学問に光りと価値を添えて来たり、また学問の有難味も充分に現われるというものである。そして蓄積せられた知識は経験を重ねるに従って、種々の方面に活用せられ、いわゆる一を聴いて十を知る的人物たることが出来るのである。その発達や進歩は実に迅速を極め、たちまちにして同輩を凌ぎ、群鶏の一鶴となるのは敢えて至難のことではない。しかるに惜しむらくはとかく思いを此所に至すもの甚だ少なく、卒業とともに直ぐ老成ぶったり、小成に安んじたり、慢心を増長せしめたりして、終にただ生涯給金取りとして人に雇使せらるるに至るのである。
いまこの章を草するに当って、左の話を想起する。アメリカのある大学卒業生、何々学士という名刺を持ち、雇われ口を探すべく諸所を彷徨ったが、誰一人彼を相手にするものがない。彼は一時途方に暮れたが、ついに苦しまぎれに労働者の着物に着かえて、有名な製革会社に一個の労働者として雇われんことを嘆願した。もとより会社は労働者なら歓迎するところであるから、直ちにこれに承諾を与えた。そこで彼は労働者の仲間に入って忠実に働いていたが、ある時係長の一人が、会社内に山の如く堆積してあった皮革の積を調査すべく来た。しかるにこの新米の学生上りの労働者も進みより、方程式により計算せしを、その係長が見とがめて、汝もこの方程式を知って居ったか、それほど学問のあるものが、何故かかる労働に従事しているのであるかと怪しみ尋ねた。彼の労働者はすなわちありのままの事実をもってこれに答えた。ところがその係長は驚き且つ感心して、終に社長に謀りて、彼を労働者中より抜擢して而して破格の位置を与えて彼の敏腕を思う存分振わしめた。而してこの大会社の現社長某氏の前身がこの学生労働者であったという。
小僧上りに立身者多き理由
前項に反して小僧上りの者は、鼻垂時代から厳格な主人の監督の下に、ちょっとの油断なく仕込まれ、父母の膝下では到底味い得られない辛酸を嘗め尽した者である。又いかなる場合にも主人に向って反抗的態度に出ることを許されず、客の難題に対してもつとめて御機嫌を損ぜぬよう、さりとて損はせぬようにうまく切り抜けることを学んでいる。ことにあの呉服屋、小間物屋など小面倒な女子供を相手の番頭や小僧の妙手腕に至っては、実に感嘆措く能わざるものがある。専門の外交官も三舎を避けねばならぬ。かくの如く内憂外患の難局に処して種々の修養を積み、又幼少の時代よりその事業に就き、しかも様々の経験と訓練を経ているので、たとえ中途で事業に蹉跌することがあっても、日頃の鍛錬はたちまち勇気を喚起[#「喚起」は底本では「換起」]して、元の位置に復することあたかも不倒翁の如くである。七転び八起きということは、実に彼等小僧上りの商人の常態である。無論小僧上り必ずしも成功するものと限っているのではないが、少なくとも苦労を知らぬ学校出や、気まぐれに面白半分に実業熱にうかされる素人とのとうてい我慢の出来ないところを平気で切り抜け、また客に対してきわめて腰の低いのは、確かに成功に欠くべからざる要素を持っているといわねばならぬ。
日本橋のある町に、仏蘭西の香水香油等化粧品いっさいを売って、大繁昌をきわめている一商人がある。初めこの店の主人は、少しく思う所があって、学校出身者中よりいわゆる秀才の聞こえのある者ばかり数名を選び、これに月給二十五円ないし四十円を与えて番頭となし、行商をなさしめたところが、幾月たっても成績があがらないので、主人は
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