に骨を折っている。東京人も一時珍しい内は買って見る。しかしながら一通り人の口に行き渡ってしまえば、味わいが美(都会人の口に)でないので、たちまち東京人に飽かれて、終にはその産物の製造せらるる国の人が僅かに国産のゆえをもって使い物に用いるに止まるのである。その地方の人々が如何に賞翫しても、贅沢な都人士の口には合わないのである。もし幸い幾分都人士の嗜好に適ったものとしても、その国産物だけ売ったばかりでは、とうてい一軒の店を維持することは難しい。店の維持に莫大の費用を要するゆえに、販路のせまい一地方の産物ぐらいを売ったばかりでは、つまりかかり負けするのである。ゆえにある産物を今日なおつづいて売っている店はたいがい東京人の間に売行きの好いほかの品も共に販売して、ようやく命をつなぐという有様である。もしこの産物だけを売るならば、十中八九までは必ず失敗するであろう。当店でも各地の産物を売って見たが、ことごとく永続きはしなかった。初め少しく売行きのよいのに調子づいてどしどし多量に仕入れる時は、必ず後で荷の背負込みとなり、始末がつかない。長月日を経るうちに品が古くなって、売物にはならぬ廃物となり、非常に損をしたことがしばしばあった。その響には問屋の方でもいつか閉店して影を止めず消え失せている。今や実業熱その極度に達し、地方人の都下に来って商業を試みんとする人日増しに多くあるが、軽率に一地方の産物などを販売せんと、果敢ない望みを抱く時は、意外の危険に遭遇することがあるから、充分慎重な態度を取り、しかる後実行せられんことを希望するのである。

  田舎人の多く着手する
    商業の種類及びその真理

    一、下宿屋

 昔は素人下宿屋とて数人の学生を下宿せしめても、僅かの家族の食費ぐらいは儲かった時代もあったが、地代家賃その他すべての物価は年々騰貴して十数年前に比して約二倍するに至った。こうして一般に生活の程度も高くなり、質朴を旨とすべき学生も、電話もあり、電燈、瓦斯設備の完全せるいわゆる高等下宿屋なるものを好むようになって、古びた小規模な下宿屋などは、自然立ち行かなくなった。しかるに地方人は単に下宿料を如何ほどとして幾人おき、それで家賃を払っても差引何ほどの利益があると、きわめて大ザッパな計算を立て、軽々しくこの下宿屋を始める。しかしながら彼ら地方人の人は、田舎にいて自分で作った米、味噌、野菜物を充分使っていた癖がついて、どしどし仕入れる。そして月末の勘定を払う時初めて費用の案外多くかかったのに驚くという有様である。また下宿屋となって人を置く上は、二三人でも数十人でも手のかかることは同じである。少人数だからとて点火すべき所に燈火をおかないわけにはいかない。鉄瓶の湯を切らしてはおけない。仕入をするにも多人数おけば自然出入りの商人に卸値で勉強させるけれども、小下宿屋は割合にこの仕入が高くなる。その上客に倒されることもあり、また部屋もいつもあき間の一つや二つはあることを覚悟しなければならない。これを一々計算して見れば、なかなか儲かるものではない。しからば数十人を容るべき設備の大下宿屋は必ず儲かるかといえばこれまた仕掛の仰山なだけ費用がかかって、さほどうまく儲かるものではない。建築物その他が財産であるから、自分の家屋でしかも資本も裕かなれば、大仕掛の下宿屋は小規模の下宿屋に比して利益が多い。一二の空間があっても幾十の間に数十人の客を満たしておけば、僅か三四間の備えしかない小下宿屋よりもその影響を蒙ることが少ない。その他火、油、手間等大仕掛な割合にはかからない。またこの如き設備の調った下宿屋には既して好い客筋すなわち多額の金銭を使用する贅沢屋が泊るから、よほどその辺は利益が多いのである。しかしこれとともに費用も多くかかり、また借家ならば莫大な家賃地代を払わねばならぬことを忘れてはならぬ。もっとも場所もその建築にもよるが本郷台で三階造りの建築にて客数十人を入るに足る家ならば、百円以上の家賃を要し、二階建ての三四十人くらいおける家ならば五六十円払わねばならない。それに多くの女中と番頭も必要である。また家の広大なだけに修繕費用も器物の破損、畳の表がえ等なかなか費用は沢山かかるから、都合好く営業が出来たところで、幾何の財産を残すということはほとんど至難のことである。ただ前に述べた小規模の下宿屋に比して利益が多いというに止まるのである。かく悲観的暗黒面ばかり見た時は、下宿屋は一軒も成立つものではないかとその疑問も起るかも知れないが、実際維持の出来る下宿屋はその一割に当らない。現に我々が取引している下宿屋数十軒を持っているが、我が開業以来五ヶ年ばかり、変らずに同じ人が営業をつづけている店は僅か四軒しかない。その他同じ名で営業はしても、主人が幾度か変っているので
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