あればこの考えはすっかり改めなければならない。私の店では、店員はすべて紳士として扱っている。そうでなければ決して伸びるものではない。監視つきでいては番頭としてまかせられるものではないし、独立しても店主になる資格はつかないのである。
入店と同時におよそ人格的に人物養成の方針でやっている。そうすると、ただ忠実というだけでなしに愛店心も非常なものであり、少しでも店のために能率をあげようとしてかかるから、現在ではほとんど店員にまかせ切りの状態で、店主の私は毎日ちょっと報告を聞きにゆくくらいのもので――どんどん成績があがっているのである。結局人間の心掛け如何ということになるが、例えば日本菓子部の職人にしても、他所ならばせいぜい一日一人二十円平均位の製造高と聞いているが、店のは一日平均四十円以上である。さりとて、就業時間が長いというのではない。およそ十時間である。労働時間が十三四時間であろうが、店主の眼を盗んで、いたずらにむだ話をして本気で働く気でないのでは、決して能率は上るものではない。
大勢の店員達の内であるから、入店の時ずいぶん慎重な考査をしたつもりであっても、時に心掛けの悪い店員が居ないでもない。まあ毎年一人すなわち二十四五人に一人くらいの割でこれが居るであろうか、従来はこの一人を防ぐために、他の二十余人までいわゆる監視つきの注意人物として見ていたその気苦労もまた一通りではない。で、現在はこの考えをすっぱり[#「すっぱり」に傍点]と改めた。すべてを皆立派な人間として扱う。もしその内に間違いがあっても、これはとんだ怪我をしたものだとあきらめる。この考えを持つようになってから、店員の不正はかえって少なくなったと思っている。
常に店員に感謝
私は常に店員のために繁昌しているのだという感謝の念を忘れたことはない。ゆえに待遇も雇人扱いをせず、すべて家族並みである。例えば食事にしても、主人達と同じものを食べさす。否、それ以上のものを食べているとも言える。というのは、家族の者が時々店へ行って店員達と食事を共にすることがあるが、どうも内のより美味しいと言っている。それもそのはず店では専門の料理人がつき切りで世話をやくのに、自宅の方はなれぬ女中がつくるのであるから……夏になると家族は行かなくても、店員達は全部を二度ずつ鎌倉の別荘へ海水浴にやることにしている。この往復電車賃もすべて店主持ちである。
今年の夏も、私が下準備のために見に行った。そうすると、浜辺に無料休憩所というのがあるが、これは非常に混んでいる。ふとその隣を見ると、これはまた非常に気持のよさそうな茶屋がある。これは有料休憩所であった。十銭出せば大威張りで利用が出来るのである。そこで、店員達の気持にすればせっかく鎌倉まで来て、脱衣所が不便なばかりに充分に楽しめなかったとしたら残念であろうと思えたから、この場合の十銭の価値あらしめようと、さらに脱衣料としてそれだけ増して与えることにした。果して店員達は大喜びであった。
芝居も年に二度ずつ見せていたが、すべてこれは一等席で見せることにしてある。昨年から相撲をも見せる事にしたが、これも上等桟敷を買うことにした。何か御祝いの機会には、一緒に御飯を食べる。これも最高とまでは言わぬまでも粗末にならぬ程度、西洋料理なら二円五十銭、支那料理なら一卓三十円くらいのところにしたいと思っている。各自めいめいの金で食べるならともかく、いやしくも店主の費用で御馳走するのに人の後の方ですまされたとあっては、彼らの自尊心を傷つける事となる。また三度のところが二度であっても、第一流のところに招待する機会をつくってやると、自然に品性をつくり、行儀もよくなり、誰にもひけをとらぬという自信を持ち紳士としての修養にもなるようである。
物故した店員のために、この間も芝の増上寺で大島法主をはじめ、導師の方二十三人に出て頂いて法要を盛大に行い、店員一同店を休んでこれに出席したが、非常に行儀がよかったと褒められ嬉しく思った。店員は一人二人、特に抜擢はせぬ方針である。これは入店の際に厳選が利いているから、その必要を認めないばかりでなく、家族的の朗さのためでもある。
典型的な人
スタンレー・オホッキーは、ロシヤの製菓技師である。菓子製造に従事することすでに三十余年、ほとんど世界を隈なく渡り歩いて技術を研究して来た男であった。技術の優秀なる点では、残念ながら日本人でならぶものがなかった。
私の店では、以前、ロシヤ菓子は直接ハルピンから輸入して販売していた。それでは新しい品物を得ることが出来ない。いつも技師を雇ってこちらで造ったらと考えて居るところへ、その頃偶然にもモスコウから来たのが、我がスタンレー・オホッキーであった。
私の肚では、給料はその当時でま
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