一折の菓子にすらずいぶん割高な値段をつけねば引き合わぬし、また引合わぬのを承知でそれをつづけていたのでは、遂に自ら没落の陥穽を掘るようなものです。そこで私の店では、前にも述べたように、一つの営業政策であるとともに、店員待遇の一消極法として、御用聞きを廃したわけです。

    住宅手当 老人手当 子供手当

 私の店の従業員中、その約三割が通勤者ですが、他はいずれも第一、第二、第三の三寄宿舎に収容しています。そうして通勤、寄宿の如何を問わず、その給与は、固定給と利益配当給の二つですが、なおそれ以外に出来るだけ生活の保障法を講じています。
 まずその保障の諸手当をいって見ますと、寄宿を出て一家を構えたものには固定給の三割を住宅手当として支給し、つづいてその家族の中に老人のあるものには老人手当(一人四円)、さらに子供のあるものには子供手当(四円)というのを出しています。それで、一家を構えてしかも老人子供の多い家では、固定本給の十割にも近い特別手当があるわけです。それからそのほかに、家持の者は必ず一日一回は家族と食事を共にする義務を負わすとともに、一月四円ずつ夕食手当というのを支給します。
 ところで私が何故この家族手当を支給することにしたかというに、これはずいぶん古くから考えていたことなのです。かつて独逸のビスマルクが、独逸官吏の待遇法を制定する際、本給のほかにその生活安定の手段として、特に家族手当の規定を設けるのに力を入れたということを、学生時代早稲田の講壇で故松崎蔵之助博士から聞き、私もそのビスマルク式に共鳴してぜひ自分も人を使う立場になったら、これをやろうと考えたもので、時至って実行したものです。生活安定は人の互いに力をあわせて実現せねばならない大切なことです。

    利益は分配す

 経営並びに待遇の合理化、そうして幸い商売繁昌した暁に考えなくてはならないのは、利益分配の合理化です。如何によく働くものばかり集ったのでも、そこはやはり利害一致の制度で、余計儲かれば余計分配するようにしなければ、最大の能率はあがりません。それが人情の自然というものです。
 そこで私の店では、その月その月の営業の繁閑並びに収益の多少に準じ、固定本給のほかに配当手当を給与しています。
 さらに私の店は株式組織ですから、年一回一月下旬の決算期には、純益の一部を従業員へ配分していますが、このほか歳暮、中元にはまたそれぞれ相当の手当を出します。

    未解決の休暇問題

 私は店員全体に一週一回の休暇を理想としているのですが、商売の性質上並びに従業員数の関係からいまだその実現の期に達しません。それで今のところ月三回の外、新年休と暑中休を与えています。
 以上はまず私の店員待遇概要というところで、口に出していう時はこうして事実を羅列するにすぎませんが、いずれ人格の尊重ということを精神的基調としていることですから、もともと眼に見えぬ形而上の問題です。お前の店は何をどうしているか、と一々訊ねられて、完全な答をすることは容易なようで実はなかなかむずかしいのです。

    店員の休暇について

 私の店は以前平日は七時しまい、日曜、大祭日は五時しまいでありましたが、店の発展に伴い今日では営業時間を毎夜十時まで延長することになりました。と同時に三部制とし、朝七時出は午後五時まで九時出は七時まで、正午出は十時まで、と各十時間勤務に改め、ほかに月三回の休みを与えることにしました。
 これでやや改善されたと考えていますが、毎年四月や十二月のような特に忙しい時にはまだまだ過労のように見受けますので、一週一日の休みと勤務時間を更に短縮する必要があると考えています。
 こうして私が今日まで実行し得ないでいる日曜休を、秀英舎(今日の大日本印刷会社)の前社長、佐久間貞一氏が二十年前すでに実行して居られました。その理想に忠実なる、私は実に頭が下がります。また商店連盟会長の高橋亀吉氏も早くからこれを励行されているとの事であります。
 しかし事業的に大成功せられた人々の内には、この佐久間氏、高橋氏等と反対に、いっさい自分の体験に基いて、少年時代にはちょっとの隙もなく、十六七時間も打ち通して働きつづけるくらいの熱と気力を必要とすると説かれている人もあります。が、それは万人にすぐれた精力の持主のことであって、一般の使用人に対して求むべきことではないと考えられます。
 私の友人に、今は故人となりましたが、蚕業新報社の社長で竹沢章という人がありました。精力絶倫非常な熱心家で、朝は未明に起き、夜は十二時より早く休んだことがありませんでしたので、社長は一体眠ることがあるだろうかと社員等が疑問にしたくらいでした。
 その頃私はこの雑誌の主筆として、一人の記者を紹介しましたところ、僅か二年でそ
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