部を開いた。百貨店などには四季絶え間なく人が出入りしている。というのは、四季それぞれ買わるる品があるからである。
 一週間の短い間を見ても、商いには繁閑のあるものである。私の店は土曜、日曜、祭日は贈答品や遠足のため特に忙しい。ところがその日曜、祭日に、学校、会社、官庁から、催しがあるから出張して店を出せと言って来る。私の店の品を信用しての注文であるから有難いことには違いないが、私は辞退することにしている。日曜や祭日はそうでなくてさえ忙しく、店だけで手一杯である。もし注文を引受ければ、臨時に人を雇わねばならず、手落ちもありがちになり、結局一時の利益のために、店の信用を損い、双方とも不利益を受けることになる。
 先頃私の関係深い早稲田大学の五十年記念式の際に、品物を割引して入れよという話があった。この時先方は三割くらい引いてもよかろう、他の店でもそのくらいは引くのだからとの話だったが、結局特別の関係から一割だけ引いて、それも店の者は手伝いにやらず品物だけ納めることにした。その時三割引いたという餅屋の品を調べて見たところ、いつもの品より三割方だけ軽い。先方も安いからこそ繁昌している店、そう普段利益をあげている筈はない。安くしたのは小さくしたからである。こんなことをしては信用を落すばかりである。
 私の体験から一つ二つお話したが商売の細かいところを突込んで話せばいろいろの材料はあるが、要は研究である。不景気といい、不況というが、弱き小さきものも充分生きる途がある。今日の如く優勢なる百貨店がかえって研究に熱心で、ほとんど三日おきに私の店の商品の値段を調べにやって来るというふうなのに、一般小売人が手を束ねて居ってはとうてい更生の道はないであろう。

    従業員の無差別待遇

 私の店には現在二百十九名の従業員がおります。その中には、半島人はいうまでもなく、極く少数ではありますが支那人、ロシヤ人、ギリシヤ人などといった国籍の異なった人々がいます。だがこれ等の人々に対する待遇は、食事はもちろん、寄宿舎の居室、寝具もことごとく同一で、さらにこの無差別待遇は職長と弟子の場合においてももちろん変りはありません。そうして私自身も日に一回だけは必ずこれらの店員諸君と共に食事をとることにしています。
 店員の誕生日には店員一同と共に祝います。当日は「何々君の誕生日」であることを特に掲示し中食または晩食に、いつもよりはさらに何かしらの御馳走を必ず出すのです。この際だれ彼はみな本人に対して「やあおめでとう」くらいの挨拶で肩でも叩くのですが、このことが如何に店員相互の親しみをわかせ、忙しい仕事の間に一種のなごみを醸しているか、もとよりこれは店員諸君に対する人格尊重の微志より出たものであって、その結果のみを覗ったものではないのですが、自ずとそこに和気|靄々《あいあい》[#「靄々」はママ]としたものが生れるのです。

    鉄拳制裁厳禁

「何々すべからず」「何々を禁ず」といったような規則は何一つない店ですが、古参者と新参の者とが一緒に働くところでは、とかく行われ勝ちな鉄拳制裁、それだけは如何なる場合においても決して許しません。暴力を以て自分より弱い者にいうことをきかせるなどは野蛮の極みです。もし私のこの意を解せず鉄拳を振うものがあったら、残念ながら退店して貰います。
 また古い職場の情弊で自然、職長の前に職場員が卑屈になってはいけないと考えますので、人事関係はいっさい私直属にしています。もとより私は一視同仁なのですから、職長に対しても職場員に対しても、絶対に公平であり得ると信じています。

    御用聞きに出さぬ

 今日の小売商店で何商売にかかわらず、いわゆる御用聞きを出していないところはほとんどない。そうしてこの御用聞き戦がはげしくなればなるほど、小売商店自身が売上げに対する営業費の負担増加に苦しみつつあるのですが、私の店ではこれを全廃しています。その動機としてもちろん経営の合理化による営業費節減の目的もあるにはありますが、それよりもなお多分に、店員諸君の人格を尊重する所から発しております。今日の御用聞きの実状を見ますと、本当の意味での注文取りはほとんどなく、まるでお得意の台所への御機嫌奉仕です。主婦や女中に対してどうも卑屈な態度をとらざるを得ない有様です。台所口へ顔を出したついでに水を一杯汲まされる。ちょっとその辺の掃除を頼まれる。子供とか女中とかへはつまらないお土産が要る。これでは御用ききそれ自身の能率もさることながら、せっかく店内で尊重し合っているものが、一歩お得意まわりに出ると踏みくだかれてしまうのです。だがまあ商売とはそうしたものだとたいがいあきらめて、御用聞きも馴れっこになって要領よくやって行くのが世間並みでしょうが、それだと一個のパン、
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