を拵え上げてくれというのを指すのであって、どこの賃餅屋でも一時に注文が殺到して、なかなかその間に繁閑の平均や製造能率の全力を最し得ないものである。そうして、五年前に菓子屋として最も早く賃餅予約引受けを開始したのは私の店で、しかもそれには非常なる労力平均が伴ったものであった。すなわち賃餅注文者の大部分は、その出来上がりを暮の二十八日に指定し、それでなければ二十七日、二十九日の前後両日を指定する向きが甚だ多く、この三ヶ日は如何に徹夜仕事としても追っ着かぬほどの忙しさであって、余日はたいてい閑散に過ぎるものである。そこで、糯米仕入れも高い真最中にやらねばならず、臨時雇いの搗子にも高給を払わねばならず、如何に勉強するつもりでも、如何に多くの注文を引受けるつもりでも、さような事情に制せられて、その目的を達し得ない破目に陥るのである。私はこれを改善するために大いに苦心した。そうして賃餅引受けの予約法を考案したのである。それは、毎年十二月一日から十五日までを予約期間とし、申込順に搗上げ日を定め、一日の全能力に満つるや、次へ次へとその搗上げ日を繰延べ、二十五日から三十日まで、毎日ほとんど平均した注文を引受けてこれを締切りにしたのであって、その結果は、二十五日から三十日までの六日間、いささかの繁閑なく従って少しの無理をもせずして、他店よりも多額の注文を楽々引受けることが出来るようになり、しかも予約搗きであるから、原料米を前もって安価に仕入れられると同時に、また徹夜手当その他の労銀を著しく低減し得るので、顧客に対しても一割または一割半の廉価にて勉強する事が出来、双方とも大なる便益に浴するに至った。
小さき者の生きる道
私はこんな話を聞いた。
この話手は、私の店に程近いある高等小学校の校長先生で、もう二十幾年も在職せられている方であった。
「今から十年以前と今日とを比べると、卒業生の心組みに大変な差異が認められるのです。当時は学校を卒業して上級学校へ行かぬものは、多くは家にあって商売手助けをするか、または、よその店に奉公して、やがては父親の業を継ごうという志があったから、卒業の際に生徒に訓えるにもまことに仕易かった。家業に精を出せ、主人に忠実なれ、とか言えばよかった。ところが今日校門を去り行く卒業生のほとんどすべてが今後何をなすべきか、その目的を持たず迷っている。というのは、父兄の営む商売も、百貨店や、公設市場、購売組合等の圧迫を受けて、さっぱり振わない。父兄そのものが自己の営業に不安を懐いているし、この不振の商売に手助け等の必要もない。子供もそれを見ているから、家に居れぬし、外に出て何とか給料をとる仕事にありつこうとする。卒業間際になると、訓えるどころか『先生何か仕事はないでしょうか』と頼みに来る。ところが、百貨店で小店員を募集すると、二十倍三十倍の少年少女が蝟集する今日の就職難ではどうすることも出来ぬ。指導も何もあったものではない」
校長として、一カ所に二十幾年もいたならば、その年々に校門を去り行く少年少女達の心に、その社会の様が反映して、恐しい時世の変化に今昔の感に堪えぬものがあると思われる。これはここだけのことではない。恐らく全国的のことであろう。また商人の子だけではなく、農村の子弟皆しかりであろう。朝、露を踏んで出て、夜、月光を浴びて帰る。勤勉そのもののような農家の生活、それだのに借金はかさむばかり、農家の子弟は子供心にどう思うか、そしてまた農村の小学校長は、都会以上に卒業生に与うべき言葉に迷うであろう。
時世はかく窮迫しているが、私は弱きものは弱きものとして、小さき者は小さきものとして、生きる道があると思う。そこで日常多年の経験から、主として都会の小商人の如何にして生くべきかを二三述べて見たい。このことは同じく農村の人にもあてはまることになる。
五千円と五千万円
強者と弱者の対立、都会におけるその一つの例は百貨店と小商人との対立である。百貨店は潤沢な資本と、合理的な経営方法とによって、顧客をどしどし吸いつけている。このアメリカ式の近代的百貨店によって、一般商人がどれだけ打撃を受けたか、例えば呉服商をその例にとって見ても、東京市内の呉服販売額の約七割は、百貨店に奪われている。その他家具、洋物の六割を初め、僅か六七戸の百貨店が東京市内における小売総金額の四割を占め、残る六割を、十万を数える一般小売業者が頒けているのである。一小売商人の一年の平均販売高は五千円に満たず、その利益千円に足らざる収入で、どうして、高い家賃を支払い、高率の営業税を払って生活して行けるだろうか。しかるに百貨店の一年の販売高は五千万円にも上るものがある。この一軒で小売商約一万軒の商売をしているのだから、容易に太刀打ち出来るものではない。
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