るからである。それだから各家庭が経済的に目覚めて来ると、この御用きき制度が漸次廃るものと見なければならぬ。諸君もこれは自然に廃るものと覚悟して、それぞれ適応した改革法を考えて見る必要があると思う。
[#地から5字上げ](産業講習会における講演)

    大売出しについて

 開店後かなり年月を経過したが、特別のある期間を限り、特別のある試みを行い、それで、世俗の所謂「大売出し」をやったことは一度もない。私の店では一ヶ年を通じて、毎日毎日が大売出しである。少なくともそうした意気込みをもって営業をつづけている。従って経営主任者として私の常に考究すべき問題は如何にして製造全能率の発揮を図り、如何にして商売の繁閑を調整しようかという一事である。
 大売出しの計画はもとより結構であろう。だが、それは販売品の種類によりけりで、私の店のように、日々の消費を予想し、日々の愛用を目的とし、しかもその製品の総てが新しきを尊び、美味なるを貴しとする製菓、製パン商にあっては、一定期間内における一時的売上げ増進策を図り、他店のそれに見様見真似した大売出しを行うことは出来ない。よし出来たとしても、多少宣伝的効果を収め得るのみで、実質的には、商店自らもまた顧客一般も、決して左程の利便、利益を受くるものではない。平素が売出しでなければならぬ。製造能率の全力発揮、商売繁閑の平均を求め、能う限りの経費節約を期して、最良品を最廉価で売捌くことが、私共の店にとって一番大切なのである。そこで私は大売出しに就いて、従来一度も計画したり、また実行した例はないけれど、日常絶えず売上げ高の平均増大に就いて考慮をめぐらして来た。

    大売出しは一種の注射

 大売出しは一種の注射的商売繁栄策である。時たまにはいいかも知れぬが、あまり継続するようになると、却ってその効果を減殺するものである。平素に製造全能率、販売全能率を挙げつつあるならば、決してそこに大売出しを企てるべき余力が生じて来ぬ。またそれを強いて企てるべき必要もない。一ヶ年を通じて、平均的に売上げを増すように努めるのが、商店経営の根本問題であって、一時的に、変態的に、パッとした不景気に乗じた売上げ増進策は私共では採らぬところである。大売出しを行わないで、また大売出しを必要としないで、それで一日一日の全能力を発揮し、商売の繁閑平均を求め、製造原価と営業経費の低減を期してこそ、商店としての信用を博し、商店としての強みを有し、商店としての繁栄を招来することを得るのである。こうした確信の下に、私は私の経営法改善に長い間心がけて来たのである。

    製造販売能率の平均

 最初に私の店で製造販売をはじめたのは、各種の味付パンであった。ところがいうまでもなく味付パンなるものは、春から夏へかけて沢山に売れるけれども、秋から冬にかけては著しくその売行きを減ずるのである。従って春夏の候はややもすれば不足し勝ちであったその製造能力は、毎年きまり切って秋冬の候に至ってありあまることとなり、同期間の損失空費はすこぶる少なくないのを例とした。そこで私は、これではならぬ、何とか商売の繁閑を平均して、一ヶ年常に全能力を発揮する工夫はないかと考え、ちょうど開業六年目に当る秋の初めから、新しい設備を整えて、餅菓子を売出すことにした。餅菓子は同じ菓子類であっても、パンとちがって、秋から冬にかけて沢山売れ、春から夏にかけて著しくその売行きを減ずるのであるから、パンとは全く反対で、これを兼営するに至ってここに初めて一年を通ずる商売の繁閑平均を求め得、また製造販売の全能力を充分に挙げ得るを得たのであった。
 かくの如くにして、一時的な大売出しの計画に成功せんとするよりも、むしろ一日一日の確実な売上げ増進に努力し来り、それがためには、味付パンに加うるに餅菓子兼営をもって、商売の繁閑盛衰を平均し常に製造販売の全能力を発揮するように考慮をめぐらして来た私は、その後新しく西洋菓子に手を染めたのに対し、またまた食パンの大量製産を始めてこれが調和を図り、今日では味付パン、餅菓子、食パン、西洋菓子の四工場を各々交互に伸縮自在ならしめ、一ヶ年間を通じて少なくも繁閑の変動なしにその全能力を挙げ得らるる仕組みにしている。そうして徐々に、堅実に、全体的の売上げ増進策をはかり、一年三百六十五日、毎日毎日が大売出しの意気込みで、顧客に臨みつつあるのである。

    賃餅開始の苦心

 ところで、私が売上げ高の平均、すなわち如何にして製造販売の全能力を発揮するかに苦心した一例を挙げると、それには、賃餅引受開始の苦心談がある。
 賃餅とは、説明するまでもない東京の一風習であって、年末に各家庭がその必要な正月の餅を仕事師なり、米屋なり、また菓子屋なりに頼み、いつ幾日に何斗何升の餅
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