思う。物を買ってもらうということは恩恵ではない。これは人様の必要に応じて売るわけであって、決してこちらから卑屈になったり、恩恵的に恐縮したりすべきものではないと思う。

    商売の基は勉強

 それでは商売の基本はどこにあるかということになると、手数というものをなるべく少なくして、お客様に良い品物を格安に売るということであり、またそれが人に対する好意であり、同時に人に喜ばれる原因で社会奉仕である。それをお世辞や嘘で固めて、無理に買って貰うということになると、旧式の金儲け主義で、同時に恩恵的になる。ちょうど孤児院あたりで十銭の筆を三十銭でどうか買って下さい、大勢の子供がお粥も食べられませんからと訴える。これは恩恵的である。十銭の物を三十銭貰う、つまり二十銭だけその人の義侠心に訴えるのである。商売はそうでない、十銭の原価のものに一銭五厘なり二銭なりの手数料を見てそれで売るので、得意が自分で他に買いに行けばそれ以上高くなるゆえに、これは少しも恩恵的ではないのである。
 恩恵的でもないものを、日本の昔は恩恵の如く考えた。従って買う人は非常に傲慢なものであって、どんな無理を言ってもよいというようなことが往々にしてあった。私はこれはだんだん改革せねばならぬと考えている。これから商売に従事する方も、共にこういう心持で行かぬことには文明の商人としての価値はないと思う。私は二三年前に欧羅巴に行ったが、彼方では商売人というものはむしろ尊敬されている。その代りまたやり方も非常に堂々としている。日本の維新前の武士は無理は言っても良い、商人などはどんなに侮辱しても構わない、と言ったような習慣でこれが現在にもまだ何分の一か残っているが、新時代においてはどうしても今まで述べたような方針でなければ、本当の商人になる資格はないということを私は断言する。それで自分がそういう見地から、三十年来やって来ました実地の話を手短かに致そうと思う。

    秘訣の第一は正札売り

 商売をする上において、正札で物を売るということがきわめて大切だと私は思う。何商売に限らずこうすべきで、正札でないと負けろという人には負けてやり、黙って買うお客様には結局高いものを売りつけることになる。こんな不合理なことはない。値切らない良いお客様に高く売って、値切るお客に安く売るというような不合理なことをする店は、決して大成するものではないと思う。私の店は三十年の間に、ちょうど売上げが二百倍になったが、私は正札主義で、どのようなことがあっても割引はしない。それでずいぶんお客様の感情を損ねた場合もあるが、その代り、もうこれより勉強の出来ないぎりぎりの決着の値をつける。いくら頑固に、俺の所は負けないと言っていても、他の店より高い値をつけておけば、誰も買いに来なくなってしまう。正札という事と最大の勉強ということとは、ぜひ一緒に行わねばならぬ。そういうふうにすればさらにやましい所はないのだからやたらに小さくへり下る必要はない。お客様に対して良い物を安く売ってあげるのだという腹があるからお客様の無理に対して、ヘイ御無理御もっともという必要はない。あまり無理をいうお客ならこちらからお断りする。そういう底力があったならば、自然そこに強味と自信が出来る。お客様の方でもやはり頼もしい、ああいうふうに確信を持っている店なら必ず高くはなかろう。我々を引っかける事はなかろうという信用が出来ますから、店はますます繁昌する。

    無料配達廃止

 そこで正札制をやって、断じて割引の出来ない値段を発表しますと、無料配達というようなことも出来なくなって来る。もちろんこれは皆様の中には、色々な商売をやっておられて、一様に申せない向きもあろう。この間もこの話が出たら、ある炭屋さんが、あなたのように菓子屋さんはそれはなるほど正札で、配達しないというわがままも言えるだろうが、私のような炭屋は「配達致しません、奥様どうぞお持ち帰り願います」というわけには行かないとこう言う、これはもちろんそうでしょう。無料配達をやらぬと言うのも程度があって、炭だの薪だの近所のお客様に対して、うちでは配達しませんから奥さんお持ち下さいというわけには行かぬ。それはやはり常識で、そういう場合を言うのではない。この頃は百貨店で無料配達を盛んにやっている、初めは郊外ぐらいだからよいと思っていたが、前橋、高崎、軽井沢、小田原、箱根、または千葉方面まで無料配達をしている。石鹸や金盥を買っても配達をする。聞いて見るとこの一個当りの配達費に六十銭も七十銭もかかっている。こういう無謀なことを一方にしているから、自然何かでうんと儲けるという、そこに一つのからくりを要する。それでなくては営業が成立って行かない。
 私は総じて利益というものは、店の経営費と生活費さえと
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