十五銭で売れるものを造って見たところ、アメリカの二円のものに比していささかも劣らず、イギリスのBCをはるかに凌駕することを発見した。
すなわち従来の日本製品にわずかの経費を増して優良品を製造して売り出したら、売れ行きは従来の約十倍以上に及んでいる。
私ははなはだ僣越ながら自家の製品を日本一というモットーを掲げているが、日本一たらんとするには、すべからく世界一の優良品と競走せねばならぬ。商人といえども理想を高く掲げて、奮闘努力してこそ自ずからその途も開拓されるのであって、政治家、教育家、宗教家と何等異るところがないはずである。
商人が社会のために良品を供給し、繁栄して行き得るならば、これすなわち本懐というべきではなかろうか、しかもそれは決して行い難いことではないのである。もって新商人道を提唱する所以である。
商売繁昌と女主人
小売商は男子よりもむしろ婦人向きのものと思われます。繁昌する店の多くは聡明なる婦人が中心となっているのを多く見受けるのであります。我々の同業者中でも銀座の木村屋さん、本郷の岡野さん、本所の寿徳庵さんいずれも東都随一の盛況を致せしは皆女主人の努力でありました。今日の大三井家も現代において基礎を作りしは女主人であり、現代でも味の素の大をなせしも当主人の祖母の力に原因し、明電舎の今日あるも全く母君の力であります。
かく婦人の力は偉大なものでありますが、概して婦人は小心にして注意深きところよりその長所が時にはかえって障害となるのもありますから、この点では注意しなくてはなりません。
その一例を挙ぐれば、呉服屋にて男主人や番頭は布切五尺の注文に対して、三四寸の尺伸びをサービスとして勉強する場合にも、女主人は五尺キッチリで少しもおまけをせぬ傾があるので、妻女が店頭に居ると客は素通りすると云われて居ります。
私の知人で信州の山奥に温泉宿の株を買った者があります。その宿屋が非常に繁昌して隣家羨望の的となっているのですが、最近主人に代って妻君が乗り出して万端経営するようになって、ある日主人が私を尋ねて、
「相馬さん、いくら男が威張っても女にはかないません。私が監督していた時には全然わからなかったのですが、妻が来てずいぶん無駄をしていたのを発見しましたよ、冬一期に八十俵も他家に比して無駄にしているのです」
との話です。
私はこれを聞いてち
前へ
次へ
全165ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング