ずはなく、製造の間に原料の一部は飛散し、油分、水分はその大部分を失うものであって、これらの損耗が正確に現われるのでなければ、製品の原価は甚だ曖昧なものとなる。
私はこの事を指摘し、あらためて正確な試験をやらせたところ、果して今度は二割の減量となった。小麦粉には一割五六分の水分があり、砂糖にも八九分の水分があり、それがことごとく飛散する上にバターもおおかたは無くなり、玉子はおよそ五分の一以下に減ずるのだから、この減損は当り前なのであった。しかし職人ばかりでない、人情の弱点として、自分の働きの効果を大きく見てもらいたいという微妙な心理から、有利なる報告をする傾があるものである。私がもしその報告を基準として売価を定めたならば、すなわち勘定合って銭足らずになるところであった。
商品販売の上にもこれと同様の場合が多い。たとえばバターを五十ポンド樽より半ポンド詰に分けたり、水飴を百斤樽から缶に移す場合などには、大略百分の五の減損となり、またビスケット類のような崩れやすい菓子を計り売りする時には、一般に百分の六、七は砕けと計り込みとなり、実にこれを包装紙に包み遠方に配達する等の諸費をも加え、またお客への風味、店員の試食などを加えれば、最少限度一割くらいの減損を見込まなくてはならぬ。それゆえ商売の利幅を二割と見てもすでにその半ばを失っており、残余の一割で店員のすべてを賄うこととなるのであるから、商売も全く容易でない。しかし商売の経験のないものは、この減損の大きいことを知らない、普通二割の利益ときいて儲かるものだなあと思い、自分がやればそんなに儲けないでずっと勉強することが出来ると考える。これまた勘定合って銭足らずの原因をなすのである。
もっともこういう誤りは素人だけにあるのでなく、商工省あたりの官吏なども、二割の利益をもって暴利とし、これを取締るべしなどと論ずるのを見受ける。さらに驚くべきは、商人の実際を相当理解しているはずの税務吏が、一般個人商店の経費や諸欠損をきわめて少額に見積り、これと利鞘との差額を一割五分ありとなし、これを全部純益と認定して課税するなど、相当教養ある人々にしてなおこの有様である。諸君が新たに仕事をする時は慎重の上にも慎重を加え、計算の精密を期さなくてはならん。事業の成否は懸ってこの一事に在るものである。
金の使いよう
私は決して諸君の経
前へ
次へ
全165ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング