銭足らず」ということがあるが、諸君が独立して新たに店を持つか製造を始めるかすれば、一度はきまってこの経験をするであろう。勘定合って銭足らず、計算が判然せぬようでは何をしても失敗するにきまっている。元来勘定の結果と金銭の高とは必ず一致すべきはずであるのにそれが合わないとすれば、計算が粗雑である種の経費の損耗を見落しているとせねばならぬ。また知らぬ間に盗まれたか失ったか、その辺のところも注意せねばなるまい。ここに参考として自分の見た二三の実例をあげて見よう。
 これまで職長として百円位の月給を取っていた者が独立して店を持つ時、当人はもとより、周囲の者も口を揃えていうことだが、店を持って自分が働けば職長を雇わなくても済む、職長の月給の百円だけは経費の中から助かるから製品を一段と安価に提供することが出来てそれだけでも、もう前途有望のわけだと。
 これは自分が月給を取っていた者として一度思いこむことであるが、実はこのくらい甚だしい認識不足はないのである。自分が単に職長として主家から俸給を受けていた時は生活もその範囲内で済み、またぜひともそれで賄わねばならなかったのであるが、自身主人となって一つの店を構えて見れば生活がかえって上るのは当然で、また日々売上げがあって、誰のゆるしがなくても自由に出し入れ出来るとなれば、職人時代より支出が増加するのはたいていの場合あたりまえとせねばならない。従って最初の楽観は間違いで、この違算から新店は必ず失敗となる。
 私の知人に外国貿易をしている者がある。収支ようやく償うくらいの商売であったが、昨年その子息が商科大学を卒業すると、番頭を解雇して子息をそれに代らせた。その時私にこれで一年約二千円の余裕が得られるという話であったから、私は彼に警戒して、大学出のお坊ちゃんは仕事は番頭の半分も出来ないでいて、小遣い、旅行費、自動車代など番頭よりはるかに多く使うものだ、気をつけないと二千円の余裕どころか、反対に二千円不足するかも知れんと言っておいた。この頃逢って見ると果して私の言った通りであった。

 かつて私が玉子パンの製造実費計算を、その職長に命じたところ、やがて調べて出したのを見ると製造出来上がりの分量が、小麦粉、砂糖、バター、玉子などの原料と全く同量に出来上がっており、この売価は原料代のちょうど二倍になるという利益報告であった。ところが事実そんなは
前へ 次へ
全165ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング