一歩一歩は富士の山麓から山頂までつづけられる努力であって、それは決して私がやったように一時人を出し抜く早足ではない。誰を負かすのでもない。ただ正当なたゆまざる努力である。たとえば我が中村屋の店員の中に定めの時間より一時間も早く出勤する者があるとする。私は決してそれを褒めません。多勢が一緒に働く場合は、一二の人だけ特別に早く出ることは朋輩を無視したやり方で、朋輩の感ずるところもよろしくない。人間は持ちつ持たれつの協同生活で、好んで他を心苦しくするようなことはしてはならない。まして一人だけ早く出勤して精励ぶりを認められようとする心事だとすれば稚気憐れむべしだ。とうていこんなことで成功は得られぬのである。
しかし朋輩よりおそくなることは断じてよろしくない。諸君の中にもたびたび遅刻して罰俸を受けるものがあるが、定めの時刻に遅れては定刻に出勤する人に対して相済まぬばかりでなく、左様に緊張を欠くことでは、生涯人後に落ちてうだつ[#「うだつ」に傍点]が上らん。以前店によく泣き言をいう職人があって、朝晩に「忙しくて困る。この家のように仕事の多いところはない」と愚痴をいうので、私も我慢が出来なくなって、それでは仕事の少ない閑な店へ行くがよろしいと退職を命じたが、こんなふうに仕事泣きをする人に成功したためしはありません。諸君も新年からは一人も、遅刻せぬよう、めいめい五分十分早く店に着くようにして、定刻には店員全部が揃うて仕事にかかり、将来《ゆくゆく》は皆が皆揃うて成功者となることを希望するのであります。
報恩感謝の念篤きこと
これは徳富先生もお話下さった通り、有難い、忝《かたじ》けない、もったいないという心持のあるものは、物を扱うても粗末にせず、人に対しては丁寧であり、自分自身も満足であるゆえ、神にも人にも愛されることとなる。しかるに世には不平家なる者があって、主人に対しても、朋輩に対しても、世間に対しても常に不足不平のほかなく、しまいには自分自身にまで不満を感じて自暴自棄に陥る。従ってその行動は破壊的で世にも人にも容れられない。こういう人は報恩感謝の念なきに原因するのであって、まことに気の毒なものであります。
諸君はどうかこの三点に注意し、希望を持って着々進まれるよう、私はこの中から一人の落後者も出ないことを祈るものであります。
勘定合って銭足らず
「勘定合って
前へ
次へ
全165ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング