の主位を占めて居り、官吏や貴族の跋扈《ばっこ》を許さざるゆえである。東京商人たる者、今にして大いに省るところなくば、将来の大発展は覚束ないのみならず、常に大阪商人の下風に立たざるを得ないであろう。

    商人としての盆暮の物品贈答

 東京では商人が日頃の得意に対して感謝の意を表わすために、年々盆暮の二回に必ず物品を贈る習慣がある。得意の方でもこれを当然として催促する家さえある。しかし日頃充分精を出して勉強する店は実際年二回たとえ僅かたりとて得意全体に物品を贈る余裕はないのである。しかるにこの旧慣を改め得ざるは何となく体裁がわるいのと、急にこの習慣を廃することによって得意を失いはしないかとの姑息な思い煩いからであって、何も確かな根底があるわけではない。
 当店が取引をしている問屋で、日常勉強する店は必ずこの使い物がけちであるが、不勉強である店に限り日頃取引している金額に対して過ぎるほど立派な金目の品物を持って来る。あるボール箱屋はまだ取引をしていないにもかかわらず、何とかして得意にしようと年末使い物を持参した。もとより取引もないのに受取る筈もなく拒絶したが、無理に店先において帰ってしまった。その再び注文を嘆願されるので、せん方なしに少しの折を注文した所が、その仕事は不親切で品物は弱く、自分の店としては使い道がないくらいであった。無論一回ぎりでその後再び注文はしなかった。
 また出入りの※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]屋の主人は有名な頑固屋であるが、他の製※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]所では普通白※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]の原料は芋を混合して製し、純粋の白|豌豆《えんどう》を用いないものであるが、この人は正直で白豌豆を使用している。それゆえ代価も他よりは幾分高い。そして我が開業以来の取引であって、他より如何ほど[#「如何ほど」は底本では「加何ほど」]安価でせって来てもかつて一度も取ったことがないほど彼を信用しているが、彼は年末年始等の使いものを持って来たことがただの一回もないのである。そして稀れに今少し価を安くしないかなどと相談を持ちかけると腹を立ててブリブリして、とんと話がまとまらないけれども我々は彼の製品を信用して使っているのである。
 すべてかように概して品質を精選して勉強する店
前へ 次へ
全165ページ中163ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング