は、全く使い物などをする余裕がないのであって、得意もまた日頃親切に正当な品物を勉強していれば、それが盆暮の贈り物の有無くらいで機嫌を損じるなどということはあるまいと信ずる。彼の輸出商で有名な森村左市衛門氏は出入りの商人から決して贈り物を受けないという規定を作って実行していると聞く。もし贈り物など受けて情実にからまれ、粗悪な品物をも大目に看過するという弊が起る。得意は不親切になり、店の信用を欠く原因となるから、受けぬことにきめてあるということであるが、真によき心がけと思われる。一般の商人得意ともに森村氏の心がけを持ってもらいたきものである。

    商売の快味

 田舎の人が都に来て、我等が堂々として小売商売をしているのを見て、つくづく嘆声を残してかような狭苦しい所で、あまり儲かりもしない商売をして、年中あくせくとして何が面白いのであるか、このくらい田舎で働いたならば、年々財産が殖えるばかりである、というのである。しかり彼らがいう如く、何が面白いのであろうか。自分等にも分らぬのであるが、商業は一種の道楽であって利害得失のほかに面白味がある。時々二食で店番をすることもある。また徹夜しても約束の時間までに菓子を製造して届けねばならぬこともある。あるいは原料が高くなって、収支償わないことがある。同業者と競争をして打撃を受けることあり、あるいは店員に不都合なものが出たり、内憂外患これではもう往生するよりほかはないと思うことがある。ことに好きな読書時間がないのが何より不平であって、精神上しきりに一種の渇望を感ずる。しかしその多忙で一寸の暇もない内に時を見出して、半ページ一ページの読書をなす時は、実に愉快この上なく、ことに月末の一週間は勘定しらべのために費さねばならないが、これが済めば全身綿の如く疲れる。肩も張る。そこで半日の休みを頂いて心身に休養を与えるもよいが、さらに我が慰めは読書である。ゆえに他より見れば非常な苦痛のように見えるが、自分はさらに苦痛を感じない。これはつまり仕事に変化があって、その変化が肉体と精神に慰藉を与えるからである。休むということは室の中に寝ころぶばかりをいうのではない。変化をつけることである。ゆえにこの東京で変化の多い生活をしたものは、田舎に引込んで単調の生活は出来にくいのである。空気が新鮮で閑静な田舎に行き、一日や二日ぐらい気保養することは面白いが
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